【#2】”和菓子界のApple” 「なか又」ができるまで
前回に続き、nanilaniが和菓子ブランド「なか又」を始めた理由と、そのつくり方など、書いていきます。
ユーザーから考える
「【#1】デザイン会社nanilaniが、なぜ菓子ブランドをはじめたのか」で
「ユーザーから考える、という順番でブランド像を描いていきました。」
まで来ましたので、そこから続けますね。
実在の人物を思い浮かべながらペルソナを描いていった、ということは【#1】でも書きましたが、
このペルソナ、つまり「こういうお客さんに買ってもらうブランド」を考えるときの「こういうお客さん」については感情のレベルまで思い描きました。「インサイト」とも言います。
こんな感じのお客さんだったとしたら、きっと伊勢丹新宿店や二子玉川「蔦屋家電」やセレクトショップ「エストネーション」で、「ポップアップストアが開催されたら喜ぶだろうな」という感覚。そこからポップアップ出店先も選択させていただいています。
事業戦略・ブランド戦略
さて、肝心のどんなブランドにするか、です。
どのポジションでなにを売っていくのか。
これまでクライアントワークでブランディングを手掛けてきた我々ですから、ブランドをしっかりつくる必要性は重々承知しており腕の見せ所でもあるのですが、いざ自分のこととしてやろうとすると、難しいものです。
特に和菓子なんて別に社内に由来があったものでもないので、一体全体どうやるんだろう...みたいなところからスタートしました。
商品開発は代表・村瀬の同窓の和菓子屋「一朶」のご主人を頼り、協力してもらいました。ちなみにこちらには、なか又の開業前に約1年間、社員1名が現地で修業を積ませてもらいました。彼のエピソードも面白くて、デザイナーだったのですが、「一念発起、新規事業を担当したい」と手を挙げてしまったものだから、そこから1年間、それまでのデスクワークから180度転換し、朝6時に出社する日々。修業の毎日となったのです。
どこで戦う?
なぜ和菓子だったのか?
「前橋に、お土産で渡せるような良いお菓子があれば良いのに...。」の発想からお菓子になった、というのは前回書きました。
この菓子ブランドの「らしさ」を考えたときに、日本特有の何かが良いな、というのがまずありました。
和菓子の「和」という言葉に注目しました。「人の和」とか「和える」という素晴らしい古来の言葉があります。「和」は足し算の答えですが、時には掛け算のような効果も。「調和」とか「和を以って尊しとなす」などの日本の文化や習慣、考え方なども含んだうえで、「和」というのは日本古来の良さの総称そのものと捉えました。
また、2013年ごろから村瀬が毎年視察や研修でシリコンバレーを訪れていました。その際に訪問するスタートアップ企業のエンジニアたちが仕事をしながら口にしていたのが、緑茶のペットボトルとスナックだったとのこと。コーラだとちょっと飲み過ぎは気になる、ということでヘルシーイメージの緑茶だったのかもしれませんが、併せてたのはスナック。「これを和菓子にしてもらいたいなー。可能性あるな…。」と。
今でも継続していると思いますが、健康志向と相まった世界的な日本食ブームなのに、日本のお菓子はまだまだ世界で知られていない。和菓子にもチャンスがあるのでは、と感じたのです。
さらに、当時アメリカ西海岸からコーヒー、ビール、チョコレートなどクラフトブームが起きていました。特に「BLUE BOTTLE COFFEE」や「TCHO」「DANDELION CHOCOLATE」など、IT界隈で注目されたり、食とテックを掛け合わせたブランドが登場しており、その動向を興味深く見ていました。
このあたりの要素を和菓子に取り込むと、他にまだ誰もやっていないポジションが取れるのではないだろうか。
和菓子業界に新参者が登場したとて正攻法でやっても勝ち目のないことは分かりきっています。そこで「和菓子界のApple」というポジションを明確にしました。
この皆が知るブランドでの言い換えは非常に便利な手法です。多くの情報やイメージをその一言が代弁してくれるからです。
「Apple」というブランドイメージで皆さんに伝わることは豊富にあります。
デザイン性の高さはもちろん、人々に喜びや驚きを与え続け、ライフスタイルさえも変えるイノベーション。なにより「Think different.」が雄弁に伝える、従来の当たり前を超越して物事を変えてしまう、世界を変えてしまうことを本気で考える価値観。
和菓子業界というドメインと、「Apple」のようなポジション、が明確になってきました。
主力商品はなににする?
最初に考えていたのは、たい焼きでした。
たい焼きにも養殖ものと天然ものがあることはご存知ですか?天然ものは「一丁焼き」といい、熟練の職人がひとつずつ焼くもの。
「この鉄板にイノベーションを起こせないか?」「熟練でなくともおいしい天然たい焼きがテクノロジーの力で焼けないだろうか...?」
半年以上も試行錯誤を続けましたが、狙い通りにいかず見送りました。
商品開発がうまくいかないことに加えて、「なぜたい焼きなのか?」の根拠がありませんでした。
考え続けているときに気づいたこと。
前橋市の市章が輪っかなのです。
前橋市から誕生する和菓子ブランドですので、丸いお菓子が良い!
丸を一つのアイデンティティにしようと決めました。
そこから、丸いお菓子、すなわちどら焼きをメインにした商品構成が見えてきます。
どら焼きには、定番の餡子のみならず、挟んで美味しいものならなんでもやってみるチャンスがありそうな、自由度の高いフォーマットなところも可能性を感じたのです。「どら焼きというプラットフォームをデザインする」というのが見えてきました。
ビジョン
村瀬が前橋に足を運ぶたびに感じていたこと。
それは、「和む」。
街を歩けば知り合いや友人にばったり会い、まるで地元のような、いわゆるご近所付き合いによる助け合いや共生の雰囲気。とはいえ人混みとは無縁で、明らかに東京とは時間の流れる速度が違います。
でも不自由は全くない。
“まちなか”から数分車を走らせれば利根川と赤城山の雄大な景色。数十分走れば、大自然のど真ん中。
東京在住ではお金を出さないと手に入らないこと、出しても手に入らないことが普通に存在していて、都会より人間らしい生活ができるなと感じます。なんだか和むんです。
そんな「和む」感覚をもっと世の中に広めることができれば、もっと幸せな人が増えるのでは?
現代社会の様々なストレスや、解決が困難な争いごとも、もっと少なくなるのでは?そんなことを考えました。前橋で感じる「和む」を世界に拡げる、それがなか又の存在意義ではないか。
こういったことを背景に、「和むをふやす」というビジョンが決まりました。和菓子の「和」と和むの「和」をかけて、「和む菓子 なか又」の誕生です。
ここまでで、
お菓子ドメイン
お土産
ペルソナ
前橋名物
らしさ
ビジョン「和むをふやす」
ポジション「和菓子界のApple」
が上位概念として決まってきました。
商品も「どら焼き」と決まり、「一朶」と共にプロトタイピングを始めました。(同時に店舗設計も進めていますが、建築については次回ご紹介します。)
一方ブランド名は決まっていません。
どうブランドに形づくっていくか...。
ブランド名「なか又」の由来
いろんな案を考えましたがどれもしっくりきません。
「なぜこの食の事業をやるのだろう」と考えたときに、「代表・村瀬の家業が“食”だからだ。」と思い至ります。
ブランディングの作業でも、一番最初のリサーチ・分析フェーズでは、経営者インタビューをしたり創業時の想いや社史を遡ったりなど、ブランドのDNAの掘り起こしをおこないますが、同じように村瀬も自身のことや家業を掘ってみました。
村瀬家は東海道・宮宿(現在の名古屋市熱田区)で、江戸時代の海運業から始まり鮮魚仲買を経て、かまぼこなどを製造する練り物屋として代々商売を営んでおり、その屋号が「なか又」でした。
初代・村瀬又三郎が1913年(大正2年)に「魚又」として創業し、途中「なか又」と名前を変え、
創業100年を目前に2013年に村瀬の父4代目でその歴史に幕を下ろしました。
その経営方針・社訓に「食膳の味覚に貢献する」というのがありました。
自分のDNAとして100年以上も食にまつわる商売が続いてきていたが、せっかくの縁で食の事業を始めるのだから、暖簾を継げなかった自分がそれを復活させることがミッションではないかと思い至ったのです。
(ちなみに「魚又」は、名古屋かまぼこの老舗として現在もその伝統を受け継いでいます。)
子供時代は、屋号の「なか又」がダサくて嫌だったという村瀬。
「なか又」という名前には一般的にもなにか違和感を覚えるのではないか?それに和菓子屋っぽくありません。それでいて横文字のおしゃれな感じだと埋もれるだろうというのもあり、差別化できるとても個性のある屋号だと気づきました。
それにストーリーもあります。
かつては海と魚由来だったなか又。それが群馬という海のない場所で継承されるおもしろさ。
こうしてブランド名は「なか又」で決まりました。
ビジュアルアイデンティティやお店の設計・デザインについてはまた次回!
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