しずや和尚のなんでも相談室
誰かに相談したら起こるいいことを私の実体験をもとに書き綴ります。
お寺の住職、大学の非常勤講師、IT社長、タレントの付き人などなど、これまで歩んできたしずや和尚の仕事遍歴を公開します。
相談を受けた方の感想やビフォー・アフターをまとめました。
人生生きていれば失敗や挫折も数知れずです。小さなものから大きなものまでみんなで笑い飛ばしていきましょう!
こちらの記事に興味を持って下さってありがとうございます。 私は奈良県の宇陀市にある浄土宗報恩寺の住職をしてる天根静也と申します。 報恩寺は元は墓守の尼寺でした。代々尼僧さんが住職をしていたのですが、僕の先代の祖父がご縁があって先々代のあとを継ぎ、1代飛んで孫の私が後継者となりました。 なぜ継ぐことになったかというと、 浪人して入った大学の入学式の直前に祖父が亡くなって、 半ば流されるようにそれを天命だと覚悟して お寺を継ぐことを決心したからです。 それでも、 「自分
相談を申し込んでいただいてもタイミングが合わずに流れてしまうことがあります。 でも、意外にその時点で悩み事がいい方に向かっていることもあるんですね。 自分が課題を悩みごととして認識し、それを誰かに相談しようと決心することで、自分の見えないところでは状況が変わり始めると思います。 実際に相談に至らなくても決心することで好転する。 こちらの相談室でももし相談を申し込んだけど、相談する前に解決しそうだったり、もやもやが解けた場合は、遠慮なく延期してもらったらと思います。
昨日新しく受講する講座の面接がありました。 面接の宿題で、自己紹介と「私が創造していきたいこれからの社会」についてのレポートがありました。 自己紹介の方は、これとほぼ同じ内容です。(面接のおかげでまとめる機会が出来ました。) そして、「私が創造していきたいこれからの社会」では、京都で会社をしていたときの最後の方で起きたある事件について取り上げました。 その事件話はあまり公にしたことがないのですが、全く誰にも話したことがないという訳ではありませんでした。 面接者の方も
とりあえずいくつかの時代に分けて自己紹介します。 幼少期~小学校4年とにかく元気で常にリーダーシップを取るような人間であった。賢いけど問題児で、僕だけ先生の横でみんなの方を向いて特別席に座らされるような時代もあった。でも天真爛漫に過ごしていた。 小学校4年~中学4年生で転校。ちょうどその頃から学習塾に通い始める。県内有数のスパルタ塾で、一種の洗脳を受けた感じになる。まだ当時は塾に通っている子は多くはなかった。 なんとか転校しても学校にはなじめ、またリーダーシップを取り始め
お坊さん以外の顔としてIT稼業があります。 サムネイルにもなっているこの写真は僕の人生初事務所の写真です。4畳フローリング、共同トイレ、共同台所のものすごく古いアパートでした。それで家賃は当時で1万円。確か大学の3年か4年に借り始めた気がします。 パソコンは、小学校時代にも父親が所有してた我が家にはありましが、ゲームをするくらいでした。 そして、本格的にパソコンに触れたのは大学生になってからでした。 僕が入った学部は薬学部でした。当時大学は教養2年、専門2年という感じ
HKさんも共通で入っていたコミュニティのメンバーの方でした。とても素敵な水墨画などを描かれているのは投稿で拝見していたのですが、直接お話をするのは、この相談の時が初めてでした。 HKさんと話をして、HKさんから絵を購入される方の話をいろいろ伺っていると、HKさんの絵は、「きっとなんかよく分からないけど、これを飾っておけばいいことあるかも」みたいな感性の方がポーンと購入される感じがしました。 とは言え、そういう作品は高額ですし、購入する人も限られるので、複業のことを考えると
同じコミュニティで複業相談を開催していたときに相談を申し出てくれたYUさん。 「あふれる想いはいっぱいあるんだけど何かを伝えたいけど言葉では伝えきれない」ということを話されていたので「それじゃあラジオ始めたらいいんじゃないの?」ということをおすすめしました。 そしたら「ラジオ始めました~~」と本当にラジオをスタートされてました。 最初に相談のときにラジオを進められたときは、 「今まで自分の選択肢になくて、すぐにいいですねとは返答できなかった」そうですが、 「今までしゃべる
自己紹介にも書きましたが、僕は小さい頃は全くお坊さんになるなんて思ってもいませんでした。 どっちかというと、教師一家だったので、小さい頃は先生になることの方を意識して、そして、そこから逃れようとばかり考えていました。 盆や彼岸も父親についてお寺には行っていたのですが、あくまでもおじぃちゃんのお家でしかなかったのでした。 大学受験は現役の時は失敗して1浪するのですが、その時すでに祖父は入退院を繰り返していたように思います。 そして晴れて大学に合格しその春の彼岸に初めて祖