マガジンのカバー画像

日々のつれづれ忘備録2

26
運営しているクリエイター

2016年8月の記事一覧

〝欲望〟がひとのIQを3にするとき

「お前、自分がやりたいことばかりじゃねえか!」飲みの席で一喝されたことがある。すっかり酔っ払っていたので、いまいち頭ではピンとこなかったのだが、図星だったのだろう、うぐぐとなって、しばらく何も言えなかった。

昔、友人から、とある人に告白をされたという話を聞いた。もう前の人と別れて、数年フリーの子だったが、はためから見ればずいぶんとモテていた。「ふったわよ」。まあ、そうだろうな、と思った。私もよく

もっとみる

一瞬の言葉と、永遠の反芻

口ではえらそうなことを言いながら、まるで行動が伴っていないひとがいたりする。

私だ。

時折自分で書いたものを見返したりしながら、大概はその文章の稚拙さや語彙の少なさに辟易としたりするんだけど(それはつまり、成長の証というポジティブな形でとってもいいだろうか?)、時折「ああ、そうそう、自分はこのとき、こんなに強く生きていた」と過去の自分に励まされる瞬間がある。

“言葉”の力というのは、よくも悪

もっとみる

居場所を作る熱量

昔、友人に「あなたからは好意が感じられない」と言われて驚いたことがある。ちゃんと好きだったからだ。過去に付き合っていた恋人にも「熱量が感じられなかった」と言われて驚いたことがある。やっぱりちゃんと好きだったからだ。でも、なんとなく彼らが望む関係性を聞いていると、やはり私の熱量は、彼らにとって低かったのだろうなあとも思う。

昔からどこにいても、居場所がないように感じていた。どこにいても、ちょっとだ

もっとみる

“モテ”の病

よほどの大病や大けがをしない限り、「生きたい」なんて思うことは日常生活でなかなかない。しかし、「存在したい」という欲求は、常に誰かしらもっているものなのではないか。

昔から優柔不断で勇気がなくて、誰かの色に染まりたい人間だった。誰かが「愛しているよ」と言ってくれれば、それだけで私はこの世界に存在しているような気がした。しかし、同時に、それは空っぽな私が空っぽのまま生きて行くことの危険に、常にさら

もっとみる
個人の“自由の限界”という希望

個人の“自由の限界”という希望

以前コラムにも書いたのだが、私は森山直太朗のファンである。毎朝家を出るときに聴くのは、「自由の限界」という曲だ。直太朗のよさがぎゅっと凝縮された曲。“限界”という言葉を用いながらも、そこには、どこか開放的で、希望に満ち溢れた雰囲気がある。

嗚呼 生きて 君と会えるのならば 全てを知りたい この声が闇を照らすならば 自由の限界 粉々にして 無茶苦茶にして 有耶無耶にして (森山直太朗「自由の限界」

もっとみる

寂しい夜を減らす方法。

「そんなに寂しいの」

毎夜毎夜、人恋しさにあえぐ私に、友人は失笑するように言った。

1年前、静かな時間が欲しかったから一人暮らしを始めてみたのに、いざ一人になってみたら、寂しくて、寂しくて、毎晩誰かと飲みに出かけていた。

都心から少し離れたところに住んでいたので、終電を逃して、アホみたいな額のタクシー代を支払わなければならないことも多かった。アルコール漬けでぼんやりとした頭で部屋の鍵を開けな

もっとみる
決別と解放。

決別と解放。

「本当は、作家になりたいんです」

とりあえずのビール、大好きな芋焼酎をロックで3杯、酔いもずいぶんとまわったころだった。

ほぼほぼ初対面のライター仲間に面と向かって言い放ちながら、ふわふわとした頭の奥で、「私は何を言ってるのだろう」と思う冷静な自分がいた。

先日友人のお誘いで、生まれて初めてヒップホップのライブに行った。「フリースタイルダンジョン」などの隆盛でにわかに人気を集めているヒップホ

もっとみる
荷物少なく、心軽やかに。

荷物少なく、心軽やかに。

薄手のワンピースを買いたくて、仕事帰り、神南にあるヴィンテージショップに寄った。梅雨明け、かんかん照りの日差しのもと、MacBook Airの入った大きなリュックと背中の間は服が溶けているかと思うほどにビショビショだった。

やっぱり帰ろうかな。でも、私は“自分へのご褒美”が大好きなのだ。「お仕事疲れた」なんて気持ちだけで家に帰るなんて、つまらない。でも、あまりに暑くて、リュックは重くて、いざ店に

もっとみる