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個人の“自由の限界”という希望

以前コラムにも書いたのだが、私は森山直太朗のファンである。毎朝家を出るときに聴くのは、「自由の限界」という曲だ。直太朗のよさがぎゅっと凝縮された曲。“限界”という言葉を用いながらも、そこには、どこか開放的で、希望に満ち溢れた雰囲気がある。

嗚呼 生きて 君と会えるのならば 全てを知りたい この声が闇を照らすならば 自由の限界 粉々にして 無茶苦茶にして 有耶無耶にして (森山直太朗「自由の限界」)

何が原因だったかはもう忘れた。以前、突然、ドミノがカタカタと倒れるように、心身ともに調子を崩してしまった。心理学の知識もある。自分がどういう状況にいるのかもわかる。頭ではわかるけど、いざ落ちてみると、自分では手も足も出なかった。全てから逃げたくて、それでいてどこにも行きたくなかった。「早く治せ」という人を憎み、「焦らなくていいよ」という人を無視した。

「なんで今まで言わなかったの」

フリーランスゆえ、数日間ひとと会わずに過ごすこともたまにある。仕事がひと段落し、何かの限界を感じて、実家に帰った。

言葉よりも先に、涙がこぼれていた。知らぬ間にキャパはとっくにオーバーしていたのだ。心や感性が、自分のことばかりでいっぱいで、私は空っぽの抜け殻になってしまう、と怖くなった。「誰かに伝えたい」と初めて思った。生まれて初めて、“見せたくもない弱い自分”を、自ら言葉にしてさらけ出した。

母親や、信頼できる友人は、こちらが拍子抜けするくらいに軽やかに、それでいてとても丁寧に、私の話を聞いてくれた。そして、「なんで今まで言わなかったの」と優しく怒った。全てを吐き出したあとになってみると、私にも不思議だった。なぜ、誰かに相談するという選択をしなかったのか。

脳内では、気持ち悪いのに吐くのを我慢して、治らない治らないと青ざめながらベッドにいた自分を思い描いた。

端的にいえば、そんな汚いものを自分が出してはいけないと思っていたのだ。なぜなら、当時の私は“一人で生きている”という傲慢さをもっていたから。私は常に敵ばかりの世界で、一人戦っているような気分だった。勝ち負けの世界で生きていた。だから、常に強く見せねばならないと、勘違いしていた。

人は弱い。それは、私だけではなく、誰しもがそうだ。“私だけが特別弱い”という勘違いこそが、人を傲慢にさせる。

何かを諦めて、肩の力が抜けたとき、少し世界に調和したような気がした。

世界がもっと広いことを教えてくれたり、嫌な顔せず仕事の支えとなってくれたり、一緒に何かを楽しもうとしてくれたり。私は、そんな人たちに生かされて、いまの“私”になって生きている。

心身の不調は、つまりは個人の思考の限界でもあった。理解ある人たちの「こんな見方もあるよ」という一言は、どんな薬よりも有効で、私の世界を安らいだものにしてくれる。

嗚呼 生きて 生きて 生きるのならば 自分を越えたい この声が 空を破るのならば 自由の限界 粉々にして 無茶苦茶にして 有耶無耶にして (森山直太朗「自由の限界」)

一人で生まれて一人で死ぬのが人間だ。しかし、一人で生きることはできない。だからこそ尊いのだ。生きていること、それこそがすでに許されている証明なのだ。

どうせ生きるのなら、限界ある自分を越えて、その先に行きたい。どうせ出会うなら、あなたの全てを知りたい。そこに限界があったとしても、最後は有耶無耶にしちゃって、「ありがとう」と愛したい。

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