山と街(街探検記録) 神戸 新神戸~元町
はじめに
4月の初頭、兵庫県にある六甲山系縦走コースの菊水山から摩耶山までを山歩きしてきました。決して麗らかな春の登山日和とは言えませんでしたが、2021年登り初めともあって、季節の草花や山頂からの港町神戸の絶景に終始心が躍りっぱなしでした。
二部構成の「山と街」シリーズ。前回に引き続き、今回も健脚と好奇心のDNAを受け継ぐ我が妹と街歩きをしていきます。午前中、菊水山から摩耶山を縦走し、掬星台から青谷道登山口へ下山した私達。景色は一気に森林から住宅街に代わり、アスファルトの街歩きに移行していきます。
登山口を降りてすぐのお寺で目に入った、桜吹雪を浴びる親子地蔵。(写真では見えにくいですが涙)住宅街には何処からともなく桜が舞い込み道の脇に滞留していきます。
「今年も一瞬だったな。」思わずそんな一言が。桃色の風に魅了されると同時に侘しさが否応なく押し寄せます。
山麓線から生田川へ
住宅街を緩やかに下り大通りに抜ければ、景観は徐々に閑静な住宅街から人気のあるマンション街に代わります。辺りは昭和のレトロマンションや純喫茶店が多く立ち並んでいて、駅や商店の喧騒とは縁遠い様子。まるで時間の止まった街のようです。
特に青谷パンあたりから竹中大工道具館までの道中で見た日常はとても平和なものでした。タイガースのデーゲームを観戦する床屋さん、客の来ない退屈そうなデリカテッセン、ショーケースにメニューそっちのけでここぞとばかりにフィギュアコレクションを披露する純喫茶店、初めて来た場所なのにどこか懐かしくて落ち着きます。
年季の入った西洋造りの文化施設もあり、この地域は見渡す限りで20年くらい開発が進んでいないように見うけられます。この街にとっての20余年に、傷の上から脱皮していく街のイメージが浮かびます。
↑メニューを飾る事を諦めたのだろうか?今井麗さんのモチーフ画みたいでかわいい!
↓自分の星座は……お!最上階!!
「何でやろ、旅行にきてるみたいやな。」
いつか見たこんな風景を懐かしんでいる気がした私達。その景色はこのマンションの前を通りかかった時に鮮明になります。「…ここバルセロナっぽくない?」
それはかつて旅した、バルセロナの街並みでした。二年前、こんな縦長のフラットと新緑の街路樹が続く坂を、同じように妹と母と三人で歩いた心地よい晩春の記憶。フラットの一階部分にはバルやベーカリーが入っていて、私達もそんな街のベーカリーでエンパナーダというスペイン風ミートパイを買って食べ歩いたのでした。見上げた街路樹は青々としていて、南国色の鳥が揚々とさえずりながら木々を渡っていく姿が蘇ります。(↓photo by sis)
バスを待つ人の列。スーパーの袋を抱えて夕餉の支度に急ぐ住人たち。小旅行気分で目が泳ぐ私達をよそに人々はまっすぐ家路に向かいます。あの街もこの街も、古いものが時代に置き去りにされて浮いてない、ちゃんと今を生きる人の暮らしに溶け込めていて、人の出入りはまさに街の血液そのものだなと感心します。道中空き家の目立つ枯れ果てた地域も目についたので、好きな街にはできるだけ血圧穏やかに、そして都市相応に末永く生き続けてほしいなと願うばかりです。(軽くダジャレ入ってもうた)
いよいよタウンウォークのフィナーレ。摩耶山を背にした風格ある新神戸駅と春の生田川の登場です。夕暮れの生田川には、桜の名残を楽しもうと地元の人々が集いそれぞれが慎ましやかに宴を開いていました。
中華街が近い事もあり龍の模様の外壁や楼閣が増えてなんだかオリエンタルな雰囲気漂う駅前です。広場にいる花見客の中には母国を同じくするであろう移民者が集まり和気あいあいとしています。もはや祭りと同じ陽気が立ち込めている生田川沿い。
ここまで来れば先ほどまでの山の自然が恋しくなるものですが、賑わう駅前のビル街やオレンジの丼物屋の看板が見えたときに何故かホッとしてしまった私。現代人の私はやっぱり街側の人間なのだと気づかされた瞬間です。
銭湯タイムでしょっぱい出来事
春の陽気に浮かれていた私達ですが、肉体はすでに鉛の様に重くヘトヘトです。ということでやってきたのが銭湯。
登山後の銭湯ほど最高なご褒美はありませんね!(ちなみに誰が興味あるねん情報ですが好きな入浴メニューはお湯と水風呂の交互入浴です。後半は水風呂が若干長め。)
小一時間ほどして脱衣所で着替えていると、後ろの方で怒鳴る母親の声が。「あんたはいつも言うこときかない!!」振り返ると叱られていたのは同じ浴場にいた少女。浴室でうろちょろする弟を引き寄せてうまく世話をしていた子。絵に描いたようなへの字口で俯く姿が印象に残っていたのです。サウナに籠って姿ひとつ見せなかった母親に何かを叱られている少女。その口元はやっぱりへの字のままでした。
「ちょっと!!」それを眺めていると突然近くにいたおば様が私に注意。どうやらこの広い脱衣所のロッカーの中でたまたま私が使ったロッカーの真下がおば様のお気に入りポジションだったみたいで、私のロッカーから垂れた紐が邪魔だと叱られます。どうやら常連さんの縄張りに足を引っかけてしまったよう。何という運の悪さ!そして短時間にいろんな下町エレジーを見すぎてなんとも世知辛い!しょっぺえ!
外はすっかり真っ暗で空気は肌寒く、湯上りの体が冷めてしまいそうで心なしかちょっと哀しい。私たちは所詮よそ者、急ぎ足で次の場所に移動することに。
丸玉食堂 思い出のローメンと再会
さて、今宵の夕餉は中華料理を食べに元町駅高架下へ。お目当ては丸玉食堂さん。実は私達姉妹がずっと来たかった場所なのです。
門構えからして派手さが無い毅然とした佇まいなのですが、店内もデザインがシンプル。テーブル席とカウンター席が脇に細長く続いていて、壁の爽やかなミントグリーンのタイルが目に映える傍ら、厨房では大きな鍋に入った茶色いスープが大型扇風機の風になびいて皮肉な感じ。歩けば靴の裏に街の大衆食堂の歴史が吸い付きます。(そう、ここはヒールで来てはならない場所!)
まずは豚足と腸詰め、チャーハン。豚足は想像していたものと違って口の中でほろほろ肉が解けるので骨周りの旨味まで味わえます。脂身がきついので紹興酒の効いた特製ソースで食べると少し後味がスッキリします。
他にも烏賊団子やローメンを注文。中でも本日のメインはこちらのローメン(沖縄そばのような平麺)。このローメンを食べられる日がとうとう来るとは!
幼かった頃、この店で母親に「ラーメンみたいなもの」と告げられ食べたのが最初で最後のローメンの記憶でした。未熟な子供の感覚ではカテゴライズし難い見た目、食感、そして風味。元町の洋服屋巡りが好きだった母にとっては若い頃の思い出の味、しかし私たちにとっては異国の匂いがする未知な食体験として、成長後も語り継がれてきたのでした。それから大人になるまで、神戸には何度も訪れているのに私達とローメンはすれ違いを続けいつの間にか15年以上の歳月が流れていたのです。
「そうそう、こんな食感やった!」味わえば蘇る当時の記憶。答え合せのように呟く私達。醤油ベースの素朴な玉子餡が、平麺に複雑に絡んで美味しい。(こう言えばいいんやね、お母さん!!)
どの一品も美味しくてお箸が止まりません。ここの店員さんの媚びない態度も好き。ここが日本だという事を忘れさせてくれます。
私にとって神戸はいつも、大人を伴わないと行けない勇気のいる場所でした。特に元町は訪れる度にドキドキすることばかり。ここで体験した未知との遭遇は、まさに私にとって神戸の原風景です。
それは異国の匂いがする高架下商店街であり、雑多な繁華街の裏道でもあり、一度離れたら永遠の別れを予感させる規模の人混みと、それを抜けた後に広がる万華鏡のようなルミナリエの輝きのことなのです。
朝夕ずっと飽きずに楽しく過ごすことができた一日。実は日中、浮かれた私が「ここ(新神戸)に住もうかな?」なんて出来心で言ったら何かを見据えたのか妹から一言。「この街に住むんやったら本気で自分のやりたいことやる覚悟しなあかんで。」最後の最後にしょっぺえ。神戸の街は憧れのままで。
クロージング
六甲山系の山々から神戸の街を眺めていると、風土と歴史が街の個性を形成していく様子が伺える気がします。湾岸部のビル街を中心に山裾まで広がる都市には、ビジネス街にファッションやカルチャーの発信地、観光客で賑わう移民街や穏やかな山の手の市民生活が上手く隣り合っています。
カオスに成りかねないそんな街の個性を丸く収める何かがあるとすれば、きっとそれを囲む海や山々の大らかさが背景にある気がします。あくまでこれは今回の山・街歩きで得た私的感触です。ですが同じ湾岸線上にあるのに、大阪から神戸までのたった30㎞ではっきり違った地域色(例えば言葉尻や身なりといった)があるなんて、阪神地域生まれとしてそこに地理的条件が絡んでいることを疑って止みません。
縦走から始まった今回の探検記録、凸凹な人生を生きるヒントも楽しい白昼夢も見せてくれた神戸に感謝!この街が益々好きになりました。肝心な全縦走コース制覇はまだまだ先になりそうですが、時期を見て続きに挑みたいと思います!
頑張ろう!