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書くことは、思い出からの卒業。

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#物語

融点

だらしない夜は、どうして暑いのだろう。眺める先は遠く、前の大きな水たまりを軽々と飛び越えている。影が揺れてしまった、もう会えないのだろうか。 すべてのやる気をなくしてしまうような憂鬱の中で、好みを完璧に把握して案内してくれるのに、目の前に座ったらほとんど口を開かない。なにをはなしたかったの、仕事のはなし、新しい暮らしのはなし。 入れすぎたシロップを舌に余らせて、渋い顔を向けてくる。なんかいいなよ、って思いながらも可笑しくてわらってしまう。 その日もわたしは静寂を待ってい

コーヒーと彼女。

冷めると味がかわってしまうから、ゆっくり飲めなかったホットコーヒー。時間をかけて飲み干すようになって気づいたことは、変わっても愛を持ち続けられるか、なんて当たり前の問いへの答え。 … 嫌いなものには目も当てられない。負の感情ばかり募る自分が嫌になる。それでも見ていたい、向き合いたいと思ってしまうものがあるとしたら、それは触媒以上ではないか。 そんな過去の直感を、彼女は信じ続けたかっただけだと思う。 険しい顔で答えのない問を繰り返す喫茶店で。今日はミルク入れたら、とカ

タラヨウの葉

彼が指さして「気になる」と言った中華料理店の不思議な佇まいだけが、今でもずっと脳裏にある。思い出せることなんて、ほとんどない。ただ、笑顔とともに消えないのはあの日の風景だ。 どの地域にも1つはある、独特の雰囲気をもった中華料理店。見覚えがあって、でも不自然なそれにもちろん心を奪われる。通るときに息を多めに吸ってみたり、横目でちょっぴり覗いてみたり。 あの頃はまだ、都会での生活に慣れてなくて、ふるさとからすこしずつ北へ東へ。だからわたしは右側がいつまでも好きで、なにかの左

春、目の前の誠実にぶら下がって

きみの大丈夫が一番だ、と彼は言った。一番だったと思う。でもそろそろ、効力は切れてしまったでしょう。彼が残した、無理しなくてもいいよなんて言葉の効力も、もうとっくに切れてしまっている。 その一番が、きっとわたしの存在価値だったのだ。必死で自分のものにしようとしたスキルで構成されたものが存在価値ではない、と気付いていたからこそ。 唯一無二として分かりやすいものだっただけだ。それをわたしは愛と信じていた。本物だったかもしれないし、錯覚だったかもしれない。でももう、魔法は切れてし

サラバ青春、いつまでも儚くそこにいて

もう誰かから勧められた音楽を、毎日のように聞く日々は来ないかも知れない。 好きなひとのために8センチのピンヒールを履いて背伸びした日々は、もう繰り返されない。 いつまでも終わらない過去との戦いに終止符を打ってくれたのは、間違いなく彼女たちだ。 「過去に勝てない」ということを受け入れられないことほど、苦しいものはない。 だから、過去と今、未来は別のものだと。感情をそのまま冷凍保存して比べることなんて不可能なことなんだからと教えてくれたのは、絶対に彼女たちなのだ。 突然だ

決断の裏にあったのは、同じ数の後悔だった

スクランブル交差点に横たわるビスケットが、この恋のおわりを知らせていた。 早歩きで通り過ぎようとしていたところ、そんな光景が現れたのでわたしは手に持ったアイスコーヒーを思わずこぼしてしまった。 「いつもなんだって早いんだから」 あまりにも優柔不断だったわたしは、いつだったかそれをやめようと決めた。そんな自分が好きになれなかったからだ。なんでやめられたのだろう。多分、「君は何かが足りてない」なんて彼が言ってしまったから。 「なにかをする」と決めてこなしていくと、それがで

君は何かが足りてない。だから僕は好きなんだ

「アイスコーヒー、ふたつ」 いつものコーヒースタンドでテイクアウトをする。期間限定デザインの紙袋に入ったそれは季節感などを演出してしまうから、浮かれてしまうけれど、切なくなる。 だってわたしは今から、お別れをしに行くのだから。 ────── 駅から徒歩五分、階段をのぼって振り返り見える景色を、わたしはいつもひとりで見た。彼に会いに行くために通る道のはずなのに、その景色を分かち合うことは今まで一度だってなかったし、これからもきっと、ない。 階段の先、不安定な細い道を行く

雨の日の五・七・五。夢中になれるものなんて、きっと

雨の日はすこし苦手だ。それでも、すこし高いところに行くと落ち着く。だから重い腰を上げてすべらないように、階段と坂をのぼって、すこしずつ上へ行く。重い空の下、それでも全力でわらった日々がある。 「プリキュアです!」 将来の夢は、と聞かれたホームルーム。小学校6年生で同じクラスだった友人は元気よく答えて、たちまち人気者となった。 別の友人は、いつも部活のジャージを着ていて、小柄で髪の毛をツンツンさせていた。いつもヘラヘラとわらい、運動神経抜群の彼のまわりにはいつも賑やかだった

いつだってやさしい言い訳をして、彼女は

自転車を猛スピードで走らせると、低い「ファ」の音がなる。ハモるように「ラ」の音で鼻歌をうたいながら校門をくぐると、体育館から「レ」の音が聞こえる。朝練の、いつものドリブルの音。その音がきみだから、好きなんだ ─── そんなわけのわからないことを、彼女は言った。 いい天気、という響きが好きだとも彼女は言った。言い切りで、笑顔になるでしょう、と続けるといつもの笑顔でこっちを向いて。きみらしいねと言おうとすると、ぼくの顔を覗き込んで黙り込む。 なんか顔についてる?と不安

大事なものほど手離して、変わった先で待ち合わせ。

いいことがあると、きまって何か不吉な予感がしていた。だから、いいことが起これば起こるほど私はいつも準備を始めてしまっていた。───きっと、何かが起こってしまうから、この幸せにちゃんと溺れて、得体の知れない不吉な何かも乗り越えるエネルギーをつけておこう─── 逆も然り、悪いことが続いても “これだけ悪いことが続くなんて、このあとにどんな幸せが待っているんだろう” なんていう誰も責めない、しずかに受け入れていく運命。 だから私はいつだって多くを望んでこなかった。期待はしすぎな