コーヒーと彼女。
冷めると味がかわってしまうから、ゆっくり飲めなかったホットコーヒー。時間をかけて飲み干すようになって気づいたことは、変わっても愛を持ち続けられるか、なんて当たり前の問いへの答え。
…
嫌いなものには目も当てられない。負の感情ばかり募る自分が嫌になる。それでも見ていたい、向き合いたいと思ってしまうものがあるとしたら、それは触媒以上ではないか。
そんな過去の直感を、彼女は信じ続けたかっただけだと思う。
険しい顔で答えのない問を繰り返す喫茶店で。今日はミルク入れたら、とカウンター越しに聞こえる。今日くらい甘やかそうかな、とミルクを注ぐ時間にいろいろなものを手放していった秋。
変わったところで待ち合わせしよう、なんて言った未来はほとんど存在しない。手放したものはもう、到底手に入らない。努力だけでどうにかなるものではないのだ。一度切ってしまった紐を結び直してもその結び目は残ってしまって、どこかを通り抜けなきゃいけないときにつっかえてしまうから。
15のときには気づいていたでしょう、そんなこと。と自分に言い聞かせて。
手に負えない、なんて逃げる姿は見たくないという期待すら持つべきではないのかもしれないと、彼女の横顔が儚く吐き出す。期待は、ときに刃になる。
…
きみはきみのままでいい、といつまで言ってくれるのだろうか。それは成長しないこと、現状維持を意味しないことはもちろん分かっている。ただそれは、変わりゆく味が想像した通りじゃなくても最後まで飲み干せるコーヒーへの愛に似ているのかもしれない。やっとフィットする豆をみつけたと、彼女は懲りずにコーヒーを飲んでいる。
でも、コーヒーの味が変わっているのは飲んでいる本人の舌の感覚の問題だから、と返す。受け入れ続けることって難しい、自分でさえ先のことなど正確に把握できないから。
そう、だからわたしもやめられない。と言いながら彼女の隣で冷めきったコーヒーを飲み干して。変わりゆくものを愛するということに必要なのは覚悟じゃない。変化すらも無意識のフィットがあるかどうかだから、なんて喪失感であそびながら。
どうしてこんなにうまくいかないんだろう、と寂しそうにわらいながら。でも、悩み続けたひとにしか愛を語る資格なんてない、片手間の、楽なだけの愛ならばそんなものいらないと。