長野県茅野市にある信州大黒屋さんと出会ったのは、偶然からだった。
世にまだ、令和のキャンプブームが訪れる前、友人夫妻と霧ヶ峰キャンプ場に行くことになった。その友人夫妻の誕生日をキャンプ中にお祝いしようと、誕生ケーキをお願いできるお店を探していたときのこと。
若い時分、米国から欧州まで転々としていた頃、各地で名店から名の知らぬ店まで、甘いものがありそうだと見るや、とにかく食べ歩いていた。
その頃はまだ、「甘さ」に繊細さを感じ取るまでにはボクの舌は豊かではなかったのだろう。
とにかく、甘ければヨシの、そんな若気の時代があった。
つまり、米国のスーパーで売っている、ドギツイ色で着色された、ジャリジャリとザラメを噛まんばかりのケーキ以外であれば、どれもこれも「美味しい」ものとしか感じなかったのだ。
欧州でもっとも美しい広場と言われる、グランプラス周辺のチョコレートを食べても、アムステルダムやアントワープの路地裏の店に飛び込んでも、リスボンだ、マラケシだと、仕事で立ち寄った先でところ構わずその土地の甘さを求め、ああ美味しいと、それだけで満ち足りる自分がいた。
今から振り返れば、どんなに美しい場所に立っていても、実に美しくない“スイーツ紀行”であったのだ。
そういう意味で、やはり日本の味覚は本来的に極めて創意工夫に満ちて、繊細だったのかもしれない。
自分で食べるうちは「甘くて美味しいな」で済んでいたものが、日本で過ごす時間が長くなり、手土産を選ぶ必要に迫られると、いやがおうにも「違い」を見定めなければならなくなったのだ。
立場を問わず、手土産をお渡しするお相手に、焼き菓子からケーキといった生菓に至るまで、その美味しさの特徴を見極め、その上でお渡ししなければ、そこに手土産を持参する意義はないと、そう考えるようになったからである。
スイーツに本当の意味で“うるさく”なったのはそれ以来かもしれない😃
帝国ホテル、ウェスティンホテル、京王プラザ、およそ〇〇ホテルと名のつく世間様が認知するところの一流どころのホテルからデパ地下のスイーツに至るまで、目に入ればあらゆるものに飛びついた。これはあの人向きの味、こっちはあの老婦人にと、ただの甘党がスイーツ好きを装うようになり、そこに手土産のため、という新たな口実を得て、浪費癖はさらに加速の一途をたどった。
そういう意味では、僭越ながら、おおむね、「美味しいだけのもの」には飽きていたのかもしれない。
美味しいものにも、さらには都会にあふれる「すごい人間」「すごい才能」にも飽きての山籠り、逼塞の日々でもあった。田舎暮らしとはそこに楽しさがあった。
そんな折、友人に誕生日ケーキを贈るにふさわしい味をさがす中で、偶然に出会ったのが、茅野市にお店を構える信州大黒屋さんだった。
初めていただいたケーキが何だったのかは残念ながら記憶に残っていない。
ただ、あれっ?と脳が覚醒したのは憶えている。
あれっ?知らない味??
これまで食べたことのない味だ。
このスポンジと生クリームが溶ける食感とフルーツの調和も初めて?これは初めての深さだ、と。
出会いはまさに、世界で初めての、世界で唯一の味だった。
ボクは、この味わいを生み出している世界観に触れたくなったのだ。
それが、パティシエでいらっしゃる伊丹由貴夫さんとの出会いだった。
以来、ケーキを求めて訪れるのか、伊丹さんと、そして素敵な笑顔でお店を守る奥様や、ホスピタリティあふれるスタッフの皆様と交わす言葉を求めて訪れるのか、自分でも判然としないまま、ボクは信州大黒屋さんの味と、味を創る方々、味を支える方々の虜になってしまったのだ。
スイーツを表現するにふさわしいのかはわからない。ただボクにとって、信州大黒屋さんの和洋のスイーツは、一言に尽きた。スイーツ紀行にありがちな、華美な修飾のすべては、次の直感の前に封殺されてしまった。
味わい
幾重にも味わいが深い
ボクは幸せだった。
信州大黒屋さんという信州地域の名店を知る方は、おそらく伊勢丹や東急、三越のデパ地下を訪れる人々の中ではまだまだ多くはないのかもしれない。
ただ、信州大黒屋さんを知って以来、僕は日本のどこにいても、海外にいても、どうしてもこんな想いが浮かんでしまうようになった。
ああ、信州大黒屋さんのケーキが食べたい
その欲求はコロナ禍とておさまることはなかった。
あるいはちょっとだけ、くだらない気取りをお許しいただけるならば、こうも言いうるのかもしれない。
スイーツを求める流浪の民、スイーツ・ハンターを自認してきた人生は、信州大黒屋さんを知り、ついに「定住」を余儀なくされたのだ。
残りの人生は、もう、信州大黒屋さんだけでいいと。
長い前置きでしたが(ええ、ここまではただの前置きでした。失礼しました)。そんな信州大黒屋さんのケーキを店内で食べられるカフェも魅力。
そのカフェで、毎年秋の洋梨フェアがもうたまりません。
カフェに住み込みたい気持ちにさせられます。
もちろん、洋梨以外にも抹茶のパフェ、コーヒー豆のドラマ、そのそれぞれを、もはや外野が蘊蓄する必要はないのです。
理屈ではない味わいを、ご関心の方はまずは堪能していただき、そして、その「味わい」を支えるドラマはぜひ店内でご自身で確認していただければと思うのです。
もう一度、お許しください。
味わい
幾重にも、幾重にも味わいが深い
お邪魔するたびに、その創作に至るまでの情景をも、パティシエの伊丹さんのお言葉の向こうに味わえてしまうのです。
ボクはこれまでこう思っていました。
言葉の彼方に風景を観る
それがボクの仕事だと。
信州大黒屋さんと伊丹さんに出会い、そこに新しい地平が拓けたのです。
甘味の彼方に人間を識る
信州大黒屋さんの店内の一角に、ローマ字で記された銘板が飾られています。
そこに「sukagawa」という文字をご覧いただけるはず。
今は信州の名店となった信州大黒屋さんは、2011年の東日本大震災をきっかけに、福島・須賀川から茅野へと移ってこられたのです。
それから今年で13年。
伊丹さんご夫妻は、新しい土地で素敵なファンを拓き、新しい素材を拓き、そして深い味わいを“耕される”お店を築いてこられました。
ボクの若い頃の拙い仕事に、『炭鉱太郎がきた道』というものがありました。
人はどこからきて、どこへ向かうのか。皆、時として自身でも抗いえない状況に直面する中で、次の人生を、新しい立ち位置を目指して生きていく。そんな人々のかつての姿を追いかけたものでした。
根を張るまでの艱難辛苦は職種や立場を問わず、すべての方々に共通のものに違いありません。
ただ、根を張って、そして枝を伸ばし、盛えるまでの軌跡が、それぞれの仕事に反映されているならば、そこにこそ、「味わいの深さ」が生まれるのではと、そう思えてならないのです。
信州大黒屋さんの洋梨のパフェ。かつて大正から昭和にかけて“天皇の料理番”だった人物が「果実の王」と絶賛したと伝えられる、美味にして希少な幻の洋梨、コミスは、試行錯誤の末に、令和の時代にその味覚を甦らせたパイオニア、帯刀農園さんの手によるもの。そのコミスの甘味を最大限に引き出す「追熟」という見えない技を加えるパティシエさんの“匠さ”
味わいを生み出すドラマに思いを巡らせるのは、召し上がってからのもう一つの楽しみに。
長野県茅野市にある信州大黒屋さん(https://www.daikokuyasweets.com)のコミスの限定パフェは来週、11月7日(木)から。
ここ、noteでお書きの皆様も、ご執筆のお疲れをぜひ、“幻の味”で。
きっと、皆様の創作のご意欲に勇気を与える、創作の現場とドラマが、味とお店に秘められているはず。
ええ、僕も行きます。期間中、何度でも。
もし、僕と世界のスイーツ談義をしながら食べてみたい、というありえないご希望の方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ。(いるわけないか!!😂)
なお、コミスのパフェが終われば、僕は、次なる味わい、抹茶へ向かおうと思ふのです…