不完全燃焼で終わりたくない、私のための振り返り【2022年ver.】
いつの間にか冬がきて、あっという間に今年も終わろうとしている。
今年は、どんな1年だったかな?
この問いを自分に投げかけてみたとき、
「正直、昨年のほうが濃い1年だった」
という答えが返ってきた。
昨年は、転職して2年目。仕事で成果を残すことに無我夢中で、憧れていた阿部広太郎さんの企画講座にも通って、人生を共にしたいとはじめて思えるパートナーにも出会った。
つらいことや苦しいこともたくさんあったけれど、そのぶん学びは多かったし、人生でいちばん成長できた実感もあった。
▼昨年の振り返りnote
そんな実り多き1年と比べると、どうしても今年は霞んでみえてしまう。大きな起伏もなく、穏やかな幸せと、ゆるやかな日々がそこにあったなあと思う。
だけど、そんな年があるから「また来年も頑張ろう」と思えるし、その穏やかな日々の中にも、きっと未来に持っていきたいと思える瞬間やできごとはあったはず。
2022年の私に「お疲れさま」「よく頑張ったね」と、言ってあげたいから。私は私のために、今年も振り返りnoteを書くことにした。
同じように「今年は不完全燃焼だったな……」と感じている方にとって、少しでも前向きになるきっかけをお届けできたらいいなあと、願っています。
1月
1月は、前の年に参加していたオンラインの企画講座「企画メシ」も終了して、「ようやく落ち着くから、色々整えよう」と思っていた矢先に、会社の研修でグロービス経営大学院に通うことになった。
グロービス自体は、若かりし頃に父も通っていて、いつかここで学んでみたいと思っていたから、部長が推薦してくれたことに感謝しつつも予想以上に慌ただしく1年の幕が開いた。
ちょうどこの頃、恋人も仕事がかなり忙しくて、お互いに少しピリピリしていたような気がする。「結婚」「出産」「お金」など、お互いの価値観のずれや過去のトラウマからくる小さな衝突が続いて、1ヶ月に渡る話し合い期間が続いた。
精神的にも体力的にもわりとしんどくて、その時の日記を見返したら「出口の見えないトンネルで、お互いが、反対方向から手を繋ごうとして必死に歩み寄っている」と書いてあった。
「人は、こんなにも価値観が違うのか」という驚きと、「それでも、こうして諦めずに対話を続けられる彼とは、これからも障害を一緒に乗り越えられるかもしれない」という確信を持ったのもこの頃。
2月
2月は、健康面で大きな挑戦をした。数年前から検討していた、ICL(視力回復)の手術。
実は、検査や準備などは12月から始めていて、無事に手術が受けられることになったのが2月。仕事の調整などもかなり計画的に進めて、60万円という人生でいちばんの大金を払って、不安を抱えながらも手術に挑んだ。
手術は一瞬だったのだけれど、これが想像していた以上に恐ろしい経験だった。
身体の他の部分の手術とは違い、当たり前だけど目を閉じることはできない。「(失敗しないように)目を大きく見開き、目の前で行われていることをすべて直視しないといけない」という現実に、私の心は動揺したらしく、横たわって顔を固定された瞬間から、途端に呼吸が速くなった。
必死に精神状態を落ち着かせようと、なんとか呼吸することにだけ集中する。手術自体は数分で終わった。だけど私にとっては、とてつもなく長く感じられた。流れ作業のように外に出ると、目の前の視界があまりにも眩しくて、夢なんじゃないかと思う。
麻酔をしていなかったのに、安心したのか30分以上眠ってしまい、目が覚めたら目の前の世界は本当に明るくて、夢じゃなかった、と思った。
小学2年生の頃からずっと牛乳瓶のような眼鏡をかけていて、夜寝る前や朝起きてから「目の前がぼんやりしている」のは当たり前だったから、何もかもクリアに見えることに毎日感動していた。
もう目の手術は当分やりたくないけれど、度胸がある若いうちにやっておいて本当によかったなあ、と今では思う。
3月
3月は、人生で二度目の過呼吸になった。
1月から通い始めたグロービスで「自分の弱みと全力で向き合う」ことを続けたこと、「平日の夜も、休日も、予習・復習・課題に時間を費やす」必要があり「自分の心や感性を押し殺して過ごす期間が3ヶ月続いた」ことで、心が壊れてしまったのが原因だった。
学ぶこと自体はとても楽しかったし、講師の方もクラスメイトも本当に良い方ばかりで、推薦してくれた部長や関わってくださった方々にはとても感謝している。
けれど、「良い成績を会社に持ち帰らなきゃ」というプレッシャーと、「自分の性格や感性と真逆の思考を身につける」ために「自分の心を押し殺して、他人の思考になる」という極端な私のやり方によって、自分の心がすっかり見えなくなってしまっていた。
ちょうどこの時は、家族や恋人に対しても、思ったことがあっても言葉にできず、心の中に小さなわだかまりが溜まっていた時期でもあった。たぶん、自分の心の声が聞こえないふりをして、「諦めること」が続き、感覚が麻痺していたのだろう。
ホワイトデーの夜、彼の些細な言動が引き金になって、気づいたら心の堤防が決壊していた。
1,2時間止まらない涙と嗚咽に自分でも驚きながら、彼の声と流してくれた音楽のおかげで少しずつ心が落ち着き、日付が変わる前には普通に呼吸ができるようになっていた。
自分の弱みに向き合うことは大事。だけど、「しんどい」「何も感じないように、心の声を無視しよう」と思うようになってきたら、危険。
そんな教訓を得て、自分をもっと大事にしよう、そして他人をもっと信じて、弱みをちゃんとさらけ出そう、と思った。
4月
3月までの、心身ともに大騒ぎだった期間を抜けて、4月は生活が少しずつ落ち着いてきた。
そしてこの時、転職して2年目が終わり、はじめて社内表彰をされた。noteにも何度か書いているのだけど、いまの会社には、学生時代からお世話になっていて、絶大な信頼を寄せている部長に誘ってもらって入社した。
もともと私は自分に自信がなく、「他者の承認を得たい」というのがすべての源泉だった。
会社に入社してから、彼の期待に応えたいという想いと、成果を残し、会社に必要とされたいという想いがもっとも強く、それがすべて行動にも現れていたのが2021年だった。その甲斐もあり、はじめて社内で表彰されてようやく自信を持つことができた。
ところが。その後、予想外なことが起こった。
「ようやく他者に認められた」という事実から、私はそのことにすっかり安心してしまい、肩の荷がすべて降りて、心の中の雲と一緒にやる気さえもきれいさっぱり蒸発し、私の中にあった「頑張る理由」が、わからなくなってしまったのだ。
こういう状態を、「燃え尽き症候群」というのかもしれないなあと思った。とにかく私は、仕事も自己研鑽も、何もかもやる気が起きなくなってしまった。
5月
すっかり燃え尽きてしまった5月、会社でははじめての社員の後輩ができ、他部署でも信頼できる友達ができて、なんだかんだ日々は楽しく過ぎていった。
そんな日常を大きく変えたのが、彼の一言だった。
「来年から一緒に京都に住みたいって言ったら、どうする?」
この一言から、私の日々は少しずつ動きはじめる。理想と現実、仕事と結婚、今まで積み重ねてきたキャリアとこれから実現したいこと……
私の心はぐらぐら揺さぶられながら、人生最大の悩み期に突入した。
6月
「悩み期に突入した」とは言ったものの、私はじっとして何かを考え続けるよりも、行動してみてそこから感じたり考えたりする方が性に合っているタイプなので、「とにかく動こう」と決めたのがこの頃。
「企画メシ」で存在を知って、仲良くなりたいと思っていた憧れの人と会うことができて(今ではすっかりお友達になれた)、「好きなことを仕事にする生き方」を間近で見て刺激を受けたり、会社の先輩のお家に遊びに行って、「仕事よりも家族や子育てのほうが大事かもしれない」と、今までの自分では考えられなかったような価値観が生まれたりした。
そして後半に差し掛かる頃、2週間連続で39度の高熱が出た。昔から体力には自信があったので、そのこと自体にひどく落ち込み、家族にも体調管理について指摘をされて反省した。
7月
2回目の高熱の原因は、体調管理の問題ではなくコロナだった。
2週間連続の発熱で、前回は陰性だったことでその可能性は全く考えておらず、熱が下がって2日後に嗅覚がなくなり、「これは、もしや……」と思って病院に行ったら発覚した。
小さい頃から肺炎になることが多かったのだけど、仕事柄「大勢の前で話す」機会が多い私は、「話していると咳が止まらなくなる」ことが本当につらかった。
外部から登壇者を招いてのイベントの際、参加者に悟られないように極力普段通りの笑顔をつくってなんとか司会をやり遂げた時は、「岡崎さんの意地を見た」と笑われた。
食べることが生きがいの私にとって、嗅覚を失っていた3週間は生きた心地がしなかったけれど、沖縄旅行の時にはなんとか復活したからやっぱり私は本番に強いな、なんて呑気に思ったりした。
ただ、その頃には家族ほぼ全員が感染してしまい、みんなから大いに恨まれた。(お詫びに、沖縄のお土産を大量に買って帰りました)
8月
後遺症も仕事も落ち着き、再びキャリアのもやもや期に突入。
色々な人と話す中で、自分が目指そうとしている理想と現実の厳しさとのギャップに何度も打ちのめされながら、それでもなんとか諦めない道を模索する日々。
そんな時、2年ぶりくらいに大学のゼミの同期に会ったことが、大きく背中を押されるきっかけになった。一歩一歩、着実に夢に向かって進んでいる彼らはみんな輝いていて、眩しかった。
会も終盤に差し掛かる頃、ある人がふと「でもさ、この中で一番すごいのはななみんだよね。大学の時もそうだったけど、着実に自分の夢に近づいてて。静かにみんなを照らしてくれる、太陽みたいな存在だよ。」というようなことを言ってくれた。
まだこれと言った結果は出せていないけれど、ちゃんと見ていてくれる人がいる。そのことが、なんだかとても心強かった。私は私のままで、諦めずに理想を現実に近づけていこう。そう強く誓った。
恋人と、新卒時代からの大好きな友達が対面する機会をつくることができたことも、嬉しいできごとだった。
私のどん底時代をすべて知っているその子に「ななみんが本当に幸せそうで、勇気をもらった」と言ってもらえたあの夜は、なんだか自分でもしみじみ感慨深くなってしまった。
9月
9月も引き続きキャリアのもやもや期だったけれど、一瞬だけ光が差した。
仲良くしてもらっている先輩のSNSに偶然コメントをしたことがきっかけで、この人みたいに生きたい、一緒に働きたいと思える人と出会えたのだ。
お話する中で、その人の生き方や考え方は共鳴する部分がたくさんあって、「そうだよね、こんな風に、欲張って生きてもいいよね」と、大きな安心感と心強さを感じた。
自分ももっと、この人のように夢を現実にして、誰かの希望になりたい。そう強く思った。
彼と旅した瀬戸内は、台風の影響で楽しみにしていた島に行くのをキャンセルしたり、2日間民宿の中で過ごしたり、地元のスーパーで食材を買って料理をする、という予想外の連続だった。
だけどそのぶん、うまくいかない旅への向き合い方や今までの幸運への感謝、旅先で日常を過ごす楽しさを知ることができたから、それはそれで良い経験になったなと思う。
10月
実は、4月頃から副業で文章を書いていた。その記事が、無事に公開・サイトに掲載されたのが10月。
不動産会社の女性限定シェアハウスをPRするための、小説のような物件紹介記事を8本。
本業の合間を縫って、実際に物件を訪れたり町を歩いたり、入居者さんについてのお話を聞いたりして、その町に、その物件に住みたくなるような物語をつくった。
事実(データや内見で見聞きしたこと)から、その物件に住む人のペルソナを精緻に考え、町や物件の魅力を引き出し、言語化して物語を編んでいく作業は、とても根気のいる作業だった。そして、心の底から楽しかった。
仕事をしていて「生きている心地がする」と感じることは普段あまりなかったから、自分でも驚いた。
来年は、もっともっとこういう仕事ができたらいいなあ。
プライベートでは、恋人の家族とはじめての1泊2日旅行(キャンプ)に行って、「家族の形」について新鮮な体験をした。
詳しくはこちらのnoteに書いているので、よければぜひ。
11月
自分と向き合いすぎて少し疲れていた11月前半、3年ぶりの花火大会を口実に、彼にとって大切な土地へ小旅行をした。
その土地は私が生まれたところでもある。今まで知らなかった場所や彼の思い出に触れる中で、「固定観念が覆される」ことを、身をもって体験した。
誰かの思い出の地に足を運ぶことは、その人の目で、その世界を見ることができるということ。
そんな旅をこれからも続けていけたら、きっと愛おしく思う土地が増えていくのだろうなあと、なんだか心がじんわりあたたかくなった。
12月
11月の終わりから12月にかけては今年2回目の京都に行ったり、「同棲の練習」と称して、はじめて彼と約2週間を一緒に過ごした。
途中一度だけ喧嘩もあったけれど、予想以上に楽しい日々で「ふたりで一緒に暮らしたら、もっと幸せになれるんじゃないか」なんて言い合うほど、穏やかな日々だった。
1年ぶりに仲間と企画をしたり、先輩に素敵なご縁をつないでもらったりして、来年に向けてやりたいことも徐々に形がくっきりしてきた。
残りの数日間は、東北の雪景色を眺めながら、ゆっくり新しい年の目標を考えて過ごしたいなと思っている。
みえてきたのは、私とあなたへの感謝の気持ち。
ここまで、長い長い振り返りにお付き合いいただき、ありがとうございました。
今年はnoteを書く頻度が減ってしまって、そのことにも後ろめたさを感じていたのだけど、こうして1年間のできごとを言語化しよう、と思えたのは、いつも私の文章を読んでくださるあなたのおかげです。
そして、振り返りをしてみて気づいたのは、「なんだ、今年も私、けっこう頑張っていたのね」ということと、「恋人を含め、周りの先輩や友達、同僚に救われていたんだなあ……」ということだった。
私にも、あなたにも。
今年もほんとうに、ありがとう。
2022年も、残り数日。
心の中も大掃除をして、大切なものだけを、2023年に持っていきたいな。
来年も、どうぞよろしくお願いします ◯
岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram: @nanami_okazaki_
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