明日を生きてみたいと思えるように、自分のために書く文章
つい先日、noteを読んでくれている友人に「いつか、幸せな文章も読んでみたい」と言われた。
そのときは「幸せだったら、文章なんて書かないよ」と冗談半分で返したのだけど、心の中では「たしかになあ」と納得していた。
自分でも薄々気づいてはいたけれど、わたしには、幸せなとき「文章を書きたい」という衝動に駆られることが、あまりない。
理由は、「現在進行形で幸せを感じていたら、文章にする必要なんてない」と思っているから。その感情を自分の中で噛み締めていると、もうそれだけで、満足してしまうのだ。
一方で、「何かを書きたい」と強く思うときは、自分の中では消化しきれない感情を消化して、明日も生き続けるための、一握りの力みたいなものを手にしたい、と思うときだ。
正確には、それが目的である、ということを認識すらしないまま書き始めている。書かずには、生き続けることができない。そんな切実な想いで、書いていることの方が多い。
だから、「自分が幸せなときに書く文章」というのがどういうものなのか、言われたときは、まったく検討もつかなかった。
とはいえ、この頃の自分の文章を眺めていると、なんだか歪んだ文章ばかりで、これから向かう明るい季節に似つかわしくないなあ、と思っていた。
それに最近、ちょっと自信がない。
心が弱っている気もする。
だから今日は、好きな人について、書いてみようと思った。
好きなものや人のことを考えているときは、心が穏やかになるし、「生きられる」が「生きたい」になるから。
今までどこにも書いたことがなく、誰にも話したことのない、「好きな人」の話。
***
その「好き」にはまだ、名前がついていない。
今のところ、つける予定もない。
このまま純粋な「好き」という気持ちだけを大切に抱えて生きていきたい、そんな「好きな人」。
だから、性別も関係性も、あえてここでは触れないでおく。
その人のことは、初めて会ったときから「守りたい」と思っていた。
守りたいといっても、か弱い小動物や小さい子供に対して抱くような感情とは、少し違う。
それに、わたしはどちらかというと「守りたい」よりも「守られたい」という願望の方が強いタイプだ(これはどうでもいい情報)。
その人に対して思う、「守りたい」という感情は、「弱さ」という要素よりも、「尊さ」という要素によって生じる感情だと思う。
この人の存在を、守りたい。人間国宝とか、絶滅危惧種とかに指定したい。した方がいいんじゃないか?と、初めて話したときから、そんなことを本気で思っていた。
その人は、この世界とは少しだけ離れたところにいて、綿雲のようにふんわりとした空気をまとっている。
目に映る世界はいつも穏やかで、ゆるやかで、透明な色をしている。
話し方は、春のひだまりのよう。笑うと、薄桃色の花がいくつもほころぶ。
明けがたの海のようにやわらかな声は、昼下がりのまどろみに、やさしく誘ってくれる。
わたしはその、耳に心地よい子守唄のような声を、ずっと、ずっと聴いていたいと思う。
ある夜のことだった。
その人を含む、知人たちとの集まりがお開きになり、家の外に出た。
「ちょっと寒くなってきましたね。」
肌をなでる空気がひんやりとして、わたしは小さくそう呟いた。
するとその人は、こう言った。
「うん。でも、綺麗やねえ。」
最初、頭の中に「?」が浮かんだ。
その人は変わらず穏やかに微笑むばかりなので、わたしはきょろきょろと辺りを見回す。
なにげなく目線を上にあげたところ、少し遠くの方に、小さな三日月が見えた。
「あ、ほんとだ…綺麗。」
そのとき、わたしはなぜか、急に泣きそうになった。
人生にはたまに、こんな瞬間が唐突に訪れる。こういう瞬間があるから、どんなに落ち込むことがあっても、もう少し生きてみたい、と思うのかもしれない。
このときの声を、空を、空気を、わたしはこの先何度も思い出すのだろうな、と思った。
***
とてもまとまりのない文章を書いてしまった。
それに、結局これもたいして「幸せな文章」ではなかったような気がする。
やっぱりわたしには(少なくとも今の自分には)、「幸せな文章」を書くのはまだ少し難しいようだ。
だけど、生きていて「愛おしいな」と感じる瞬間は、たしかにある。あのときの、あの月みたいに。わりと身近なところに、それらは潜んでいる。
それに、わたしにはとても幸運なことに、言葉という魔法の杖がある。
幸せが永遠に続くことはなくても、それを感じた瞬間を、言葉にして、残しておくことはできる。
これからまた、自分が少し落ち込んだとき、このまま明日も生き続けるのはしんどいなあと思ったとき、この文章を読んだら、わたしはきっと、ほんの少しだけ元気になれると思う。
明日を生きてみたいなと思えるような、自分だけのために書く文章。
そんな文章をこれから、たまには書いてみてもいいのかもしれないなあ、なんて、思ったりする。
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