"自分の弱み" と向き合ったら、ほんの少し生きやすくなった。
最近、いい意味で「昔よりもプライドがなくなったなあ」と感じる。
自分を頑なに守っていたそれがなくなると、心がふっと軽くなり、なんだか前よりも生きやすくなった。
今まで感じていたストレスや小さなもやもやした感情が、今では8割くらい軽減されている。その結果、ひとり悶々と悩んだり、落ち込んだりすることがほとんどなくなったような気がする。
その理由を考えてみると、「自分の弱みにとことん向き合う経験」をしたことがきっかけだったのかもしれないな、と気づいた。
それは、年明けから3ヶ月間、「人生でいちばん自分の弱みに向き合って、その結果玉砕した」忘れられないできごとだった。
"成長のため" 意気揚々と飛び込んだ、学びの場
昨年末、部長から「岡崎さんの成長のために、年明けからビジネススクールで学んできてほしい。推薦したら、無事に通ったよ。」という連絡がきた。
今の会社に転職をすると決めた時、外部研修で経営や思考スキルについて学ぶ機会をもらえるという話は聞いていたから、ついに自分にもその時がきたんだ……!と、前向きな気持ち100%で「はい!しっかり学んで成長してきます!」と、意気揚々と返事をした。
……ところが。
初回の講義を終えた翌日、早速反映されていた成績を見ると、そこには「発言の量: ◎ 発言の質:◯」と書かれていた。
わたしが通っていた講座では、全6回の講義の発言の量と質、そしてレポートの質で成績が決まり、上位5%がA、その次がB…という形でランク付けされることになっていた。
会社でお金を出してもらっている以上、過去の先輩たちと同じように「必ずAを取るつもりで参加するように」と念を押されていたし、自分自身も絶対にいい結果を残すぞ、というやる気に満ち溢れて挑んだ。
けれど初回の成績は発言の質が◯で、◎ではない。これは非常にまずい。この瞬間、学ぶことへの好奇心よりも、焦りや不安が膨らみ始めた。
そう思ったわたしは、3ヶ月間仕事以外は予習や復習、クラスメイトとの自主勉強会、学びの投稿、毎回の講義後の講師への質問など、できることは何でもやった。自分でも、まるで人が変わったみたいだなと笑ってしまうくらい、真剣だった。
側から見たら「優等生」にみえるような言動や行動をしていたことで、クラスの人たちからは「ななみんは絶対にAを取ると思ってた!」と、最終講義の後、口々に言われたくらいだった。
苦手なことも、努力でなんとかなると思ってた
3ヶ月後、成績が出て意気消沈する。
自分史上120%の力を注いで努力を続けた結果、成績はBだった。
わたしがこの講座に参加した目的は、「仕事で活かせる思考スキルを身につけること」なのだから、成績がAではなかったとしても、気にすることはないんじゃないか?
Bだって決して悪い成績ではないのだから、よく頑張ったね、と自分を褒めてあげてもいいんじゃないか?
そんな自分への慰めの声もふと頭を過ぎったけれど、心の中ではそう簡単に割り切れなかった。
こんなに頑張ったのに、わたしは結果を残すことができなかった。
その事実が、悔しくて、悲しくて、「自分はビジネスには向いてないのかもしれないな……」と極端に悲観的になり、しばらく落ち込んでいた。
この時までわたしは、
苦手なことも、努力でなんとかなると思っていた。
だけど、もともと得意な人には勝てなかった。
そんな現実を、はじめて思い知らされたできごとだった。
全力を注いだからこそ、受け入れることができた現実
成績発表後は相当落ち込んだし、悔しかった。だけど全力で向き合ったのは事実だったから、徐々に受け入れられるようになってきて、しばらくすると吹っ切れていた。
諦めと同時に、わたしはなぜか安心してもいた。
最終講義後の打ち上げで、講師の方に「ストレングスファインダー、上位の資質は何?」と聞かれて答えたときのこと。
彼は笑ってこう言った。
「なるほどね。ななみんがいつも躓いていた疑問とか、思考の癖にも納得がいったよ。」
その話を聞きながら、人には生まれ持った特性があって、得意・不得意があって、努力では超えられない壁というものがあるんだなあ、なんてぼんやり思った。
そのときのことを思い出して、わたしはやけに納得してしまったのだ。
ああ、そうなのか。私はやっぱりどんなに頑張っても、この弱みに関しては、ここが限界なのか。
それは、120%の力を注いで向き合ったからこそ、受け入れられる現実だった。
現実を受け入れて訪れた、大きな変化
それから数ヶ月後、わたしの身には大きな変化が起きていた。
自分ができないことを、素直に「できない」と人に言えるようになった。
苦手なことを、「自分は苦手だから、得意なあなたにお願いしたい」と人を頼れるようになった。
苦手な分野で指摘をされたり、自分の成長がみられなくて落ち込んでいる時、素直にそれを親しい人に話せるようになった。
特に最後の変化は、自分の中では大きな革命だった。
今まで自分ができないこと、苦手なこと、至らなかったことがあると、たとえそれを相手に気づかれていたとしても、自分から口にすることを避けてきた。
決して事実は変わらないのだけど、自分でできなかったことや至らなかったことを認めることで、相手にも同じように認識されている、ということを自覚するのが怖かったのだ。
たぶん、今までのわたしには「他人ができるのに、自分ができないことがあるのは恥ずかしいことだ」という考えがあったのだろうなと思う。
頭で考えたらそんなのあり得ない、と言えるけれど、心では「誰もが同じような資質を持ち、同じような思考性で生きている」と無意識に思っていたのかもしれない。
だけど、「人には生まれ持った弱みがある」という事実が完全に自分の中で腹落ちしてからは、自分の苦手な領域で思うようにいかないことがあっても「仕方ないか」と割り切って、「じゃあ、どうすればいいのか」を冷静に考えられるようになった。
感情的に「自分はだめだ……」と流され、落ち込むことがぐんと減ったのだ。
人には人の、強み弱みがある。自分はここに関しては苦手だけれど、そのぶん他のところに得意なことがある。
そう思えるようになったことで、自分の弱みをまっすぐ受け入れ、ありのままの自分を出せるようになったのだと思う。
自分の弱みと真正面から向き合うなんて、もうしばらくはしたくないなあ……と思うくらい、振り返ると心も体力も消耗した、過酷な3ヶ月間だった。
けれどその先にあったのは、向き合う前の日常よりも「ほんの少し、生きやすい世界」。
こうしてわたしは少しずつ、自分を縛っていたものから解放されて、身軽に生きられるようになっていくのかもしれない。
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