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「いい人」と「悪い人」の矛盾を抱えた彼を好きになったから、分かった。


この時期になると、毎年思い出してしまう人がいる。
社会人になりたての頃、好きだった先輩のことだ。

彼のことは、周りの友人たちにも散々「やめておけ」と言われながらも、諦めきれずにずるずると関係を引き延ばし続け、一番仲の良かった友達に「あの人は、あなたの人生を掻き乱すほどの価値なんてない人だよ」と真顔で言われてようやく目が覚めた。

わたしのことも先輩のこともよく理解しているからこそ、苦しそうな表情でそんなことを言ってくれた彼女の気持ちを思うと、今でも苦しくなるし、恥ずかしくてすべての記憶を消してしまいたくなる。

あの時の彼女の表情は、今でもたまに夢に出てくるくらいだ。



彼は、たしかに男性としては最低で、「わたしの人生を掻き乱すほどの価値なんてない人」だったかもしれない。そのことは、どのシーンを思い返してみても、はっきりと断言できる。

ただ、彼がいなかったら、わたしは今ここでこうして、笑っていられなかったかもしれない。時々ふと、そう思うことがある。

彼はわたしを、2度も救ってくれた恩人なのだ。望みがないと分かっていてもずっと諦められなかったのは、その時の記憶が、わたしの中であまりにも鮮明に残っていたからなのかもしれない。





入社当時、わたしは失敗ばかりで毎日上司に怒られて、どうして自分はこんな人間になってしまったんだろう、と内省という名の自己嫌悪を毎日毎日繰り返していた。

自己嫌悪のループは悪い方向にばかり進んで、自分をどんどんすり減らし、気づいた時にはうまく呼吸をすることすらできなくなってしまっていた。

このままじゃ、まずい。自分の心と身体が壊れていく様子をどこか別のところから客観視しながら、気づいているのに何もできない、そんな日々が続いていた。

もうだめだ、そう思った時、先輩はなぜか、タイミングよくいつも連絡をくれた。

彼は、毎回わたしが送る日報に、他の人には見えない形で返信をくれた。そんなことが何度か続き、気づいたらわたしは、彼からの返信が楽しみになっていたし、心の支えにもなっていた。




彼に救われたことが、2度あると書いた。

1度目は、前日の夜に先輩に詰められ、心がボロボロになりながら深夜に送った日報に、翌日の朝返信をくれていた時だった。

その朝、わたしは会社のある最寄り駅の一つ前で、このまま終点まで乗り続けようかな、と本気で思っていた。

もう会社には行きたくない、行けない、と思っていて、本当に足が動かなかったのだ。

けれど左手だけは、いつものように社用ケータイを取り出してメールボックスを開いていて、ああ電車を降りないと、と思ったところで、返信がきてい
るのを見つけた。



メールを開くと、「いつも頑張っててえらいね。最近よく色んな人から評判を聞くよ。仕事だるいけど、今週も頑張ろうね!」と、彼の纏う空気の色が目の前に見えるくらい、生き生きとした文字が目に飛び込んできた。

そして、追伸には「疲れたらいつでも愚痴ってね。飲みに行こう。」と書かれていた。

それを見て、わたしの心はすうっと軽くなり、身体は自然と会社へ向かっていった。

今でもあの文面を頭に完璧に思い浮かべられるくらい、そのメールはその後、何度も、何度も読み返していた。あの時のメールがなかったら、わたしは新卒の冬すら迎えることができずに、会社を辞めていたかもしれない。





2度目は、そのすぐ後の年末に訪れた。

はじめてのクライアントを持ち、気持ちは張り切っていたものの、能力が追いつかず、その上想定外なことが連続で起きて、翌日の訪問のための資料が深夜を回っても終わらなかった時のこと。

終電の時間はとっくに過ぎていたのだけれど、上司には「さすがにもう帰れ」と言われ、ひとりでタクシーに乗り込んだ。

朝からコーヒー以外口にしていなかったことに加え、極度の緊張状態がピークに達していたのか、タクシーの中で急に気分が悪くなり、さらには熱まで出てきた。




その時、帰る直前、たまたま会社にまだ残っていた先輩の顔が真っ先に浮かんだ。わたしは朦朧とする意識の中で、社用ケータイを取り出して彼にメッセージを送っていた。ほとんど無意識だった。

するとすぐに返事がきた。

「大丈夫?今日はもう仕事はいいから、早く帰って薬飲んで寝よう。」

「資料はどのくらい残ってるの?半分できてるなら余裕だよ。」

「仕事のことは今は気にしないで、体調優先して!」

矢継ぎ早にくるメッセージを見ながら、プレッシャーと絶望感と熱と安心感と、色々なものが込み上げてきて一緒くたになって、暗闇の中で涙が止まらなかった。

わたしはまだ一人じゃない、そう強く思ったのを覚えている。





結局、翌日には熱が下がって、なんとか資料は間に合わせた。けれど、たぶんあの時の彼の言葉がなかったら、わたしは絶望感と高熱の中、資料を作り続けてどこかのタイミングで倒れているか、年明けから二度と会社に行けなくなってしまっていたかもしれない。

あの時はあまりにも必死で自分のことしか考えられていなかったけれど、後になって気づいたことがある。あの時間に会社に残っていたということは、先輩だって、相当切羽詰まった状況だったはずだ。それなのに、部下でもないわたしのメッセージにいち早く返してくれ、翌日も心配して連絡をしてくれた。

下心があったんじゃないか、と聞かれたら、わたしには完全に否定することはできない。けれど、彼がどんなに男性として最低な人だったとしても、彼の優しさがわたしを救ってくれた、それは紛れもない事実なのだ。

それだけは変わらないし、この2度の出来事は、この先何かを乗り越えるたびに、思い出して密かに感謝するんだろうなと思っている。





人にはいろんな一面がある。「この人はいい人」「この人は悪い人」なんて簡単に言えないということは、先輩に出会って痛いほどよく分かった。

わたしは彼の先輩としての面だけではなくて、男性としての面を垣間見てしまったから、途中から「いい人」なのに「悪い人」という、矛盾だらけの彼と接して苦しむことになってしまった。

たぶん、あのまま「先輩と後輩」の関係を続けていられたら、今でも彼は、わたしの人生の恩人であり、一生ついていきたい人、になっていたかもしれない。

そうじゃない関係になってしまったことで、わたしたちにそんな未来はこなかったのだけど。





ただ、「いい人」ではない一面を知ってしまってもなお、「先輩」としての彼は、最後までこの上なく「いい人」だったし、苦しかったけれど、彼を好きになったことは全く後悔していない。

今となっては、「人は、いい人と悪い人に二分されるわけじゃない」ということが分かっただけで、充分な収穫だったなあと楽観的に思い返したりもしている。(こうして文字にしてみると、至極当たり前のことなのだけれど。)

もしいつかまた彼に再会することができたら、その時は素直に、あの時の感謝を伝えられたらいいなと思う。

そんな日が訪れたら、その時は、「いい人」の面だけを見せる先輩と、「悪い人」の面なんて知らない後輩として、また新たな関係が築ける…

そんな未来が、あってもいいのかもしれない。

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岡崎菜波 | nanami okazaki
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