わたしを救う、彼の口癖
新しい職場に来て、戸惑っていることがある。
それは、同時にとても嬉しいことでもある。
一体なんのことかと言うと、わたしの新しい上司は、人のことをとにかく褒めるのだ。
とにかく、息を吐くように、人を褒める。
(と言ったら、なんだか人たらしのように聞こえるけれど、たぶん無意識にやっているのだ。すごい。)
その内容は大小様々で、小さいことで言うと、
「メールの返信が早いね」「目標の立て方がいいね」
など。
わたしが一番驚いたのは、データを加工してまとめた資料を提出したときに、「ピボットなんて使えるようになったんだね、すごい」と言われた。
社会人3年目なので、流石にエクセルの基本的な操作はできて当たり前だと思っていたわたしは、そう言われてむしろ恥ずかしかったのだけど、彼は別に、わたしのことを馬鹿にしているわけでも、能力を過小評価しているわけでもなかった。
単純に、「すごい」「いいね」と思ったから、
その気持ちを、言葉にして、伝えた。
ただ、それだけだった。
そんなシンプルなことが、わたしにとっては、毎回思わず涙が出そうになるくらい、嬉しい。
今振り返ってみると、前の職場では、基本的に「減点方式」で、できていないところをとにかく指摘される、ということが多かった。
もちろん、その頃と今の自分の実力も、仕事の内容も全く違うので、単純に比較はできないのだけれど、
それを差し引いたとしても、彼のようにほんの些細なことを褒める、という人は、職場だけじゃなくて、 どのコミュニティを振り返っても、身近にはあまりいなかったような気がする。
彼はわたしより一回り上の年齢なのだけれど、それを全く感じさせず、というよりわたしが学生の頃から全く何も変わっていないように見える。
常に年齢不詳な空気を纏っている。
年齢不詳、というか、ずっと少年みたいな人だ。
一回り下のわたしがそう思ってしまうくらい、とても素直で、純粋な人なのだ。
嬉しい時は豪快に笑うし、怒った時は機嫌が悪そうな顔をするのだけど、それもなんだかカラッとした怒り方で、湿っぽさや重さがない分、人に威圧感を与えない。
悲しそうな顔はここ数年間で見たことがなくて、少しは落ち込むらしいのだけど、すぐに立ち直ってしまう。
そんなあっけらかんとした少年のような心をもつ上司の口癖は、「素晴らしい」だ。
学生の頃はあまり気づかなかったのだけど、一度社会に出て全く違う環境で過ごした今だからこそ、彼のその口癖は、魔法の言葉のように聞こえる。
たとえ自分が褒められているわけじゃなくても、誰かに向けた彼の力強い、心からの「素晴らしいね」が聞こえると、なんだかわたしまで嬉しくて、心強い気持ちになる。
よし、わたしも頑張ろう、と奮い立つ。
最近は、一日に一回はその言葉を受け取るようになって、嬉しさと気恥ずかしさで溺れそうになっている。
わたしは自分に対しては減点方式でしか見ることができなくて、たまに苦しくなったりもするのだけど、ここに来てからは、心が削られることもなくなった。
彼の言葉は暖かく優しい陽の光でもあり、栄養分がたっぷり染み込んだ甘い水でもあって、すぐに枯れたり萎んだりするわたしの芽を、いつも潤して伸ばしてくれる。
本人にその自覚は、たぶん全くないのだろうけど、そういうところに、むしろ救われている。
「小さなことを、褒める」。
これは、大きなことを褒めるより、ずっとずっと、 難しいことだとわたしは思う。
誰もが「すごい」と思うことは誰もが「すごい」と本人に伝えているし、本人だってそれをわかっている。
だけど、小さなことは、誰も気づかないし、気づいたとしても、「当たり前」だと思っているから、言わない。
それは本人が思う分には謙虚でいいと思うのだけど、その「当たり前」が自分以外の人や、「環境」にとっての基準だったりすると、自分は愚か、他人のこともあまり褒めなくなってしまう、気がする。
何よりそれは、自分が、苦しい。
もちろん、一番いいのは「自分で自分のことを褒めてあげる」ことだと思うのだけど、そう簡単にそんなことできないわたしみたいな人にとっては「小さいことを見つけて褒めてくれる人」は、生きていく上で、とても、とても大事な存在になる。
そういう「小さいことを見つけて褒める」を、まずは他人に対して使う癖をつけて、いずれは自分に対してもそれができるようになりたいなあ、と思う。
今日も、早起きした自分、えらい。
おいしいお弁当を作った自分、すごい。
いつかそうやって、わたしも自分に栄養を与えられるようなしなやかな人になりたい、と思いながら、彼の口癖を、今日も密かに、真似してみる。
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