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土曜会に参加しました③


土曜会に参加しました②の続き


あまくも けはひ くものみを(10月個展用テキスト)

 あまくも けはひ くものみを
 天雲 気配 雲の澪 空の雲になんとはなしに気配を感じ、気がつけばまた雲は流れていく。
 最近、雲を眺めることで何を想起するのか調べていました。 
照恩寺での展示にむけて来迎図から得た印象で何か描きたいと思っていたからです。
 先人が描いてきた、山越阿弥陀図、聖衆来迎図、早来迎...、
見れば見 るほど雲の造形が素晴らしく、面白いと感じます。  
地上と天上の世界を繋ぐ、二つの異なる世界の間を取り持つ媒介として描かれてきた雲。 
絵巻では、場面展開や時の流れを表すために使われてきた雲。 
古くから描かれてきた造形や表現を下敷きに、雲に着目し描きたいと考えました。
このような思いから、展示名を「あまくも けはひ くものみを」と決めました。

土曜会に参加しました②で話したことからできたのが、上のテキスト。
「掻き集める」ことを繰り返してコンセプトやテーマについて自分の納得や座りの良さ、居心地を考えた結果がこの短い文章だったりする。


③脱線
建前をナシにした個人的見解も少しだけ話した。
人からみた正しさとか評価とかはひとまず置いておいた、極めて自分的な話…
(今日話したことや普段の通常運転の制作もそうかもしれないけど)

「あまくも けはひ くものみを」
この展示は素直に「来迎図」を背景にした作品を展示したいというものに偽りはない。
お寺での展示なので、自分で出来る限りの見解を持ちたい。
お寺での展示だからロケーションやイメージを無視したくないという気持ちがある。
彼岸と此岸などを往来するような、遙かを臨むようなイメージを個人的には持ちたかった。
しかし、信仰が庶民レベルのため祈る気持ちはあるものの、結局は恐れ多くて仏を描く、仏画を描くのはしないことにした。
神聖なものを描くほどに俗悪になるに決まってる。
「到達できないもの」
「大切なものは見えない」
「自分の中にとどめるのがよい」
そういったことが裏テーマになっている。
来迎図は「高野山聖衆来迎図」が好き。
「山越阿弥陀図」は寸尺のミスマッチ...
というか特撮のようで好き。
印を結ぶ手の部分に五色の糸を通した痕跡があって信仰について考えちゃう。
「當麻曼陀羅図」の中央に吸い込まれるような構図も好き。
日想観と西方浄土と二上山を巡る背景も興味深い。折口信夫の死者の書など。
お寺、お坊さん、信者さん、学問の方などガチ勢に対して、失礼ギリギリ...じゃなくて、迷惑かけないくらいのファンの立場でいきたい。
基本スタンスは「だって面白いんだもん」で。 
真剣に楽しむには色々と身の程を図ること、恐れず意見を持つこと...

 ④「掻き集める」から「描き集める」へ
展示タイトルやテーマも決まってきたら、次は描くための資料集めをする。 
だいたい何から引用したいか、どんな絵を描きたいかで量も決まってくる。
これは現在進行形の作業になるので確定してはいないけど、これらを使って(見て)描いてく。
主題に対しての考え方もここで固まってくる。
描き方は絵具で塗ったり描いたりするだけなので、技法は今回割愛します...

以下資料の一部です。
あとで見返せるように作品ごとにファイリングもします。
何度も何度もずっと気になり続けてる資料もよくあるのでこの方法は面倒なようで便利。
エスキースや小下図なんかもファイルする。

↑今までに集めた資料やファイルの一部


⑤まとめ
「描き集める/掻き集める」 絵を描くとき展示をするときに最初にすること。

1、「脳内地図」と勝手に呼んでいるマインドマップでイメージを言語化する。
出てきた言葉を調べたり、追求したりする。方向性を決めていく。
地図というより はガイドブックに近いかも。(今回は展示テーマを決めるときのものを見せます。)
掻き集める感じが一番する作業だと思っている。

2、表題を決める
展示でも作品でも、できれば先にタイトルを決めておきたい。
考えの座りが良く なって迷子にならない気がするから。
タイトルを決めるためにしっくりくる言葉を探す。展示タイトルはひらがな3つに決めている自分ルールがある。

3、掻き集めた色々な断片をもとに作品を描いていく。
この段階で「描きたい」と「描いたほうがいいこと」と「個人的な問題」と「心象風景」「幼児体験」「憧れ」「出会い」そういうことを合わせて描いていく。
そうすると「今現在必要なこと」が炙り出されてくる...上手くいけば、偶然と思っ たことに物語を見出したり、必然性を思うことができる。と考えている。
描き集める。

4、目指すところ、避けたいこと
下手に「今っぽさ」「時事ネタ」「流行り」みたいのを求めると逆に欲してない作品ができると思っている。(それはダメなダサさ)
泥臭く描くことで「イイ」ダサさに到達するならそれはそれで良いと思ってる。
狙いを外したりコントロール不能になって「こんなはずじゃなかった」ってなったとしても。
鑑賞者のことは考えているが、まず自分に充填されるものがないと意味がないと思っている。

まとめのまとめ
土曜会で話したことは制作のプロセスのことでした。
これは最近確立したことではなくて、徐々に固まってきたことだったりします。
誰かの参考になるかというとそういう実用性はなくて、石原がいつもどうするか、どうしているか、ってだけの話です。
当日プレゼン後に少し感想をもらったりして「結構システムが確立してますね」「デザインのクライアントワークに近そう」「ファイルにするのは便利そう」など言ってもらえて新鮮でした。
私自身も絵を介して企業との仕事や人が関わる仕事をして少しずつ言語化した感じでした。結構毎回苦肉の策というか。
コミュケーションに悩み続けた部分などが反映してるかもしれません。
まだ未熟というか確立していない部分が大きいので常に考え続けていきたいところです。
テーマ選びや着想を整理することに苦労した結果乗り越えた部分も大きいんですけど、肝心の絵の方…作品の方は全然進化していないんじゃないか???
とか思うので、もっと手を動かす、作品に関わり続ける根気・胆力という根本の部分も鍛えていきたいと改めて思いました。
根性論じゃなくて、身体的精神的な部分も含めた作品完成までの道筋を丁寧にしていきたいな〜って感じです。

↑おまけ:現在進行形の作品、下図(10月の個展で発表します)

土曜会でのことはおしまい。
もし最後まで読んでくれた人がいたら感謝しかないです。
ありがとうございました。

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