人の見えるとこ、見えないとこをいつの間にか楽しめているわたしがいた。
わたしはそれほど遠くない昔、自分のことがあまり好きではなかった。
自分がやらかしてきたことの数々をここに暴露することもできるけど、恥ずかしいのと具体的にどんなふうにやらかしがあったかっていうのは晒したくないからカットするね。
自分のことが少し信じられるようになった今、
それが元でのやらかしも増えた。
じゃあ信じなければいいじゃんなんて思う人もいるかもしれないけど、結局のところ、最終的な今かは自分自身しかいないんだよね。
“世界中が敵になったとしても、
信じられるのは自分だけ”
な〜んてね。
それ以前のわたしは、そんな簡単なこともわからなくて「他人がわたしに下す評価が、わたしの全て」だと思ってたの。
例えば「あなたはお話があまり得意ではないけど、書くことになるとお喋りになるのね」とわたしのことを誰かが言ってくれたとしよう。
じゃあ、わたしは「お喋りになるわたし」がプラスポイントで喜ぶべきなのに「手段を変えたら、しどろもどろになるのはなぜ?」って凹んでしまうわけ。
そんなの、誰にもわかるわけはないのに、ひたすらに考えて行き着くゴールを見失ったゲームの主人公みたいに、ただそこに立ち尽くすだけ。
そんなのはもうやめにしなさいと
自分から指示する声が来た。
待ってたって、その先に立つのは「行き止まり」の札でしかないって。
だったら、先へと進もうよ、って ー。
今、もしも
先に進むことが不安で
立ち止まって考え込んでしまう
分岐点Aと分岐点Bでどっちにしよう?
鉛筆コロコロ的なものを頼りにしようとしているなら。
自分のことを信じてあげられなくて
「どうせ自分はなんもできないんだから、仕方ないよね」なんで諦めそうになってる人がいたら伝えたい。
わたしもマイナス面だけ勘定して、プラスのことについては全くカウントできない日があったってこと。
人と比べてばっかりで、
何をやっても「上には上がいるし」なんて卑屈になった日があったってこと。
だけどこうやって、書くことでなら
たまに無理矢理なときはあるけど、しどろもどろになんかならずに話ができるし話せないってことが「強み」にさえなるって環境に気づけてからは、文章を書くことももっと好きになれたし、終わりは自分で決めていいって知れたから、書くことに対して前向きな姿勢でいる。
「環境を変えたら、自分は何にだってなれるんだね」
なんて思ったの。
だからしょぼくれないで。あなたは、そこにいるだけで、充分人の役に立つことができてるんだよって、
わたしはあなたに伝えたかっただけ。
結局みんな、あなたに見せている姿が全部じゃないんだよってこと。
あなたの前での姿が全部の人も、あなたの前と友達AちゃんやBちゃんとの前で全く違う態度を取ってしまう人も、八方美人なんかじゃなくって、その人の素なんだろうね。
わたしも、もっと、今以上に自分を好きになりたいからー
明日へ向かって、歩き出していく。
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