あのとき、本当はどうしたかった? これからはどう生きたいの?
「みんながやってる」「みんなが見てる」
「みんな」って誰? 小さいときはさほど気にしなかった言葉「みんな」。
なんでだろう、大きくなってからこの言葉にいちいち反応することが増えたし、イラっとすることもあるわたし。
そんなわたしの心のうちを代弁するかのような本に、少し前、出会った。
今は誰からも憧れの存在、女優業と大学生の兼業をしている芦田愛菜さんの自著
「まなの本棚」の一冊に、「かがみの孤城」という本がお勧めされていた。
あらすじはざっとこんな感じ。
クラスで決定的な「あれ」があって学校に通えなくなった女の子が、一人で部屋にこもっていると鏡がきらきらと光り出して、その中にも世界が広がっていることに気づく。
しかも、その先で出会った仲間達にはある共通点があって…⁇
と、ネタバレしないように抑えたけど、
わたしも似たようなことがあったなぁ、そんなときに近くに仲間がいたらどれほど心強かっただろう? って思わせてくれる作品でした。
わたしがタイトルでちょこっと触れてる「本当はどうしたかったの?」は、わたしにも学校行かない選択肢が用意されてたならどうしたかなーって。
本当は行きたくなんてなかったのに、義務教育だもん、仕方ないよね、って朝起きてきてそれこそロボットのように動いてたんじゃないかな。今になって思う。
もしも…
学校に行かなくてもいい
選択肢があったなら
もしも
学校行かなくても学力とか友達関係とかどうにでもなったなら
あのときのわたしの選択肢はまっすぐ進んでて良かったのかな、なんて思うときもある。
曲がり道、寄り道、ちょっと一休み。
今までそんなことしてる自分がいたかな?
振り返ると、そんな自分がないことに気づくんです。
いっつも突っ走ってたな。
もしかしなくともわたしは、「休む」ことを知らないのかも。
「わたしが我慢して行ってれば、周りの人達も安心するんだから」とか
その頃から周りの人たちの目を常に気にして生きてたんだよね。
長い独り言、綴るね。
わたしは究極、学校に行けなくなったって構わなかったし、変な話、不登校になりたかった。
不登校児になって自由な時間が増えたなら、
問題児扱いされたとしても自分に自信持ってもっと、生きることができてたんじゃないかな。
毎日、朝が来るのが怖かった。
一日中布団の中で寝ていたかった。
仲のいい友達もいたけど、本音はわからないからいつもビクビクしてたし、そのせいで掠れる声。わたしは自分のことが大嫌いだったな。
極めつけは仲良くもなんともない男子からの放送事故用語、ピーーーー
があって。笑
いや、今となっては笑い話なだけで、当時は笑えなかった。そんな余裕さえもなかった。
今日を生きる。
もっといえば何時間後も生きてる?
ちょっと表現が違うかもだけど、闘うことに疲れ果ててたんだ。
だからー
休戦したい
誰もいないどこかへ行きたい
なんて思ってたなぁ。
よく生きてたね、わたし。
たまに考えてしまうことがある。
「何でもかんでも“みんなが一緒”でなきゃダメなんか?」と。
例えば、わたしの場合だけど
一人で過ごしたい日がある。
一人でご飯食べたい日もある。
なんなら今日は人と関わりたくない日。
気分って、毎日ファミレスで出てるご飯じゃないんだから日替わり定食でいいはずなのに
なんでだか知らんけど
「みんな揃って行動しようね」
とか、合言葉になってない?
わたしは、孤高の一匹狼でも構わない。
みんなと一緒は楽しい時もあるけどいつもじゃ息が詰まってしまうだろうし、人間関係でいろいろあったわたしとしては、一人でほっとできる時間もほしい。
何よりも自分の気持ちを大切にしたい。
わたしが過去のわたしにメッセージを送るとしたら、「自分を殺してまで演じるのは自分じゃない、他人だよ」。「我慢してそこにい続ける必要はなんだよ」って言うのだろう。
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