夜の夜景、昼の夜景、朝の夜景
夜中に眠いと思いつつ書いた呟き。
布団の中で、ふと、思う。
『夜の夜景って、おかしくない?おかしいよね。だって、夜だから夜の景色で夜景なわけで、「まるで夜景を」で伝わるわけだから、「夜の」というのは完全にいらないよね…』
更にウトウトしながら考える。
『でも、もしかしたら、私が夜にしか夜景が無いと思っているだけで、実は昼や朝にも夜景は存在するのかもしれない…一部だけが夜で、そこにだけ夜景が見えたら………』
*
よく冷やされているであろう水滴のつくグラスが、トンっとテーブルの上に置かれる。
私は美しい夕日を眺めながら、注がれた夜景も眺める。グラスの中の夜は煌めいていて、目の前の夕日は赤くて。
私は夕方の夜景が好きだ。赤と紺のコントラストが美しい。
大きく広い海に沈み行く太陽と、街のネオンで煌めく夜景。
まるで私の心みたい。
などと柄にも無いこと思って、少し笑う。
*
みたいな感じかもしれない。(サラッと考える夜じゃない夜景)
やはりBGMはジムノペディか。
ジムノペディを聴くと落ち着きはするが、少しダークな気持ちになる。
螺旋階段を静かにあがるような、曇の空からひと粒雨が落ちてきて頬を濡らすような、美術館で一人シュールな絵を見ているような、周りがぼんやりしているのに何かはハッキリしているような。
とりあえず眠いままにしろ、なんにしろ「夜の夜景」とか書いちゃう私の国語力を笑う。
きっと何かでもこうしてやらかして、知らないところで笑われていることだろう。
でも、それでいい気がする。
そもそも、私の学力なんてたかが知れて、というか、学力向上を目指さなかったのは私だ。
正しい言葉の使い方をすれば、大勢の相手に正しく均等に自分の考えている事を伝えることができる。
けれど、私の書くものはそういうものでもないのだろう。
夜の夜景なんていう呟きを生み出したから、私の頭の中では夜じゃない夜景が美しく煌めく。
これは内側のものだから、外からどんなに笑われても、内側の煌めきは変わらず、私はグラスを揺らし、夜景をよる以外で楽しむ。
あなたはどの夜景を何処にみるんだろう。
私は今回は夕方にグラスに注いで楽しんだけれど、他にもきっと色々な夜景が楽しめる。
夕飯を作るキッチンの白いライトの下のフライパンの中とか、雨の日に広げた傘の中側とか、爽やかな朝の風鈴にうつりこんでいるかもしれない。
きっと画面の前のあなたが想い描く夜景も綺麗だろうと、私は仕事前に思ったのだった。
さ、仕事いこー。