歴史小説「Two of Us」第4章J‐21
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐21
帰路に着いた、細川忠興一行。
奥州から何泊かしながらも、道中は足は休めずに来た4名は、京への入り口、西へ行けば備前や播磨その手前の長岡(長岡京市)、まっすぐ桂川を越えれば五条通への坂道で、一服休憩の腰を下ろす事にする。
〈沓掛〉は現在も北京都や山陰への玄関、縦貫道のインターチェンジだが、細川夫妻にとっても、いくつもの回想をもたらす場所でもある。
誰もが周知なのは明智日向守十兵衛光秀が、中国地方へ羽柴氏への援軍を翻し『敵は本能寺にあり!』と一軍に告げ、具足を新調し甲冑を整え直した場所である事。
〈老いの坂峠〉を越えてすぐ、亀岡市には京都サンガのサッカースタジアム(於:亀山城跡地)が建立されて久しくないエリアでもある。
峠茶屋が並ぶ一軒で、借景の竹林を眺めながら、忠興にガラシャ珠子が話しかける。
「ここのお店、玉造のお屋敷から脱出した時に、ちょっと休憩した峠茶屋なのですよ❓」
「さようか。その節は女官のイトやシモにも、世話になったな」
「はい。イトは最後まで、九州まで付き添ってくれてました。
シモは、私珠子が亡くなったものとして、覚書を残してくれているはずです。オクは今でも、清原家ゆかりの商家におると聞いておりまする」
「さようか。大変な事態も乗り越えてみれば、こうして語ることも出来る。
オクの機転で、城代の松井に報せてくれたのだ。庭師の事を。
珠子自身が手を下すわけには行かないが、領主としては口封じをする必要があると判断したのだ。許せ。珠子の命の恩人を。。。」
「はい。先日程傷ついてはおりませぬ。
私には指示出来ない事でした。お手を煩わせました」
「珠子さま。お聞かせくださいませぬか❓
その脱出計画のからくりの所を。
石田三成軍包囲の中で、お屋敷からどのようにして淀川へ脱け出せたのか、そこだけはお伺い致しておりませぬ」
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