わかりあえないことから(読書感想文)
どなたかのSNSで拝見して即、図書館に予約。自宅から徒歩5分の図書館、ありがたや。
「英語=コミュニケーション力」という認識の世の中で英語の先生をしている私だけれど、実はコミュ力低め。英語で話す時「私は自分のことをintrovertだと思うけど、仕事をする時は必要に応じてextrovertになるんだ」と言います。introvertは内向的。そしてextrovertは外交的。人の考えていることを知るのは楽しい。だから読書や少人数の対話は好き。
でも普段出来ないことも仕事になるとスイッチが入る音が「ガチャ」と聞こえる程、extrovertのスイッチが入る。「演じている」というとネガティブに聞こえるけど、この本を読んでその罪悪感みたいなものが消えた。必要に応じて演じられるのも、また人の良さ。
ここにあったコミュニケーション力の定義で好きだったのは、自分からバンバンいくのがコミュ力だと思われているけれど、本当は論理的に伝えられない人の気持ちを汲み取る力なのではないか、という部分。そういう意味で言えば、私は自分のコミュ力に満足している。
教室の生徒にも「ハキハキ話すことも大事だけど、それ以上にその人の声のボリューム、話し方のままでもちゃんと聴き取ろうとする聴き手になることのほうが大事」と伝えることに繋がるかも。
いつからなのか「声が小さいから聞こえませーん」ってコミュニケーションをぶった斬る様な声が正当化されたのは。。。それじゃあまりにもつれないよね。
======================
<心に残ったフレーズ・言葉>(順不動)
●とことん話し合い、二人で結論を出すことが、何よりも重要なプロセスなのだ。
●「対話の技術は大学や大学院でも身につきますから、どうか子どもたちには、この『対話の基礎体力』をつけてあげてください」
●表現教育には、子どもたちからの表現が出て来るのを「待つ勇気」が必要だ。
●(女性的な言葉遣いを強いられてきたことに関して)
女性はこれまで、もっと厳しい差別に苦しみ、心を痛めてきたのだから。(女性の言葉遣いの変化による心の痛みを男性は甘受すべきだという考え)
●英語を公用語化する、あるいは少なくとも会議などを英語で行う様にするのは、国際化と言う名目以外に、英語の方が、年齢や性差を越えて対等な議論がしやすいという実利的な側面もあるからだ。
●日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。
●「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人々をあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いてはいないだろうか。