『古今著聞集』刑部卿敦兼と北の方03(ゆるい解説 & 雑記)
めでたし、は幅の広い古語です。
現代語訳に迷ったらとりあえず褒めておけばどうにかなる。
例えば「めでたき神社」なんてきたら「立派な神社」とか「荘厳な神社」とかすればいいし、今回の本文のように「仲らひめでたく」とくれば「仲が良く」などやっておく。おとぎ話の〆に来る「めでたし、めでたし」は、「よかった、よかった」くらいになるのかな。
また、今回出ては来ませんが『いみじ』なんて古語は「程度がものすごく高いか低いかどっちかだな」くらいの認識で良いかと。この辺りはいまや現代語の「やばい」とか、ひと頃の流行り言葉「ぱない」に近いものがあります。昔も今も似たようなもん。
でもさ、この古文のラストはあんまり「めでたき」オチではないように個人的には思うんだよね。
夫婦仲が良くなった。それはいい。でも古文中の「優なる北の方の心なるべし」っていうのが、どうしたって腑に落ちなくて。
妻が「優なる(=優れていて立派な)」心を持った人物であったから、夫の歌に感動して、離れていた心が元に戻った……ってのは、なんか夫がかわいそうな気が。夫がブサイクであったことを嫌がってた時点で、あんまり「優」ではない気もするし。
もっとも、この北の方の父親は平安後期の有名な歌人。歌を聞いて感動するだけの素養は、きっとあったのでしょうけれども。貴族は演奏や和歌ができないと、いっぱしの貴族ではなかったようですから。
さて、刑部卿の歌は『今様(いまよう)』といって、平安中期以降のいわば流行歌です。7音と5音と繰り返す、七五調ですね。
この歌は面白くて、ポイントは2つ。
まずは「移ろふ」ですが、この言葉には「花の色が変わる」ところに「心変わりする」という意味を比喩的に乗せてあります。和歌でよく見る技です。
次に掛詞。これもよく見る組み合わせですが、花が「枯る」ことと、心が「離(か)る」ことと、2つ意味が重なっています。「移ろふ」の部分も掛詞だよと教えるケースもありますが。
篳篥(ひちりき)ってのは短い縦笛です( ↓ 私物写真参照)。
笛の演奏と、今様の朗詠と、同時には無理だからおそらく交互にやっているはず。ピアノやギターとは違って、演奏しながら歌えないんだよね。
ひと時にできるのはどっちか片方。
それがますます寂しい印象を与えているように、現代のわたしには思えてしまいました。
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