漁夫の利(ウソ後編)
(昨日からウソの続き)
まずは親子丼の派生を見てみよう。
鶏肉と卵を使ったもの以外にも、鮭とイクラの魚介バージョンを「海鮮親子丼」と形容することがある。宮城県のご当地グルメ「はらこ飯」だ。
あるいはチキンカツの卵とじを「親子カツ丼」と認識する人もいる。
関西方面では「親子」から派生して、鴨肉を卵でとじたものを「いとこ丼」と呼ぶこともあるそうだ。同じ「いとこ丼」でも鰻と穴子のハーフ&ハーフしか寡聞にして知らなかった関東のわたしは、関西バージョンの「いとこ丼」には驚いたものだった。
それだけでは飽き足らず、関西ではとうとう「他人丼」が誕生する。こうなってしまえば具材にはなにを入れても良い気がするが、鶏以外の肉と鶏卵、というのが他人丼の定義だそうだ。これは関東で言う「開花丼」に当たる。文明開化の牛肉文化の香りを感じるネーミングである。
中国料理だって負けてはいない。揚げた家鴨(アヒル)肉に縦切りの皮蛋(ピータン)を2つ並べた「家鴨皮蛋飯」が、我が国内でも中華街を中心に流行したことは記憶に新しい。
横浜中華街に群がる女子高生が、「家鴨皮蛋飯」をSNSにバンバンあげて、最終的にピータン片手にそのまま齧り歩くまでになった映像は、ワイドショー世代の年配者の肝を抜群に冷やしていた。
過去からの派生は、ざっと以上のようなものである。
そして話題は、親子丼の未来へと移る。
文化芸術、あるいは流行もそうだろうが、ある程度複雑化した現象は、ある特異点を過ぎた途端にシンプル化するのが常である。
平成、令和と時代は進み、百花繚乱の親子丼文化も爛熟し、特異点を越え、あとは「わびさび」をも想起させるほど親子丼文化は激烈な収斂を見せる。それは室町時代に大陸の影響をダイレクトに受けて成熟してきた北山文化の後に、静寂と幽玄の東山文化が現れたのとどこかしらイメージを一(いつ)にする。
令和現在、「これぞ最新の親子丼だ!」と言える丼料理を、主に料理研究家やフードコーディネーター、並びに栄養士界隈にアンケートをした結果、皆が口をそろえて挙げた料理がある。
なんてことはない。
時代は「シンプル」へと立ち戻っていた。
新時代の親子丼として、異口同音に挙げられたもの――それは宗旨による食事制限を受けず、ヴィーガニズム派にも受け入れやすい、醤油をかけた納豆ご飯なのだという。