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他人に好かれないと生きられない人
心の中に、確かな【自分】という意識が育っていないと、他者が気になります。
他者の顔色とか、機嫌とか、自分に対する評価とか、
自分が他者にどう思われているのか、がとても気になります。
他人の目が全く気にならない人は、ほぼいないと思いますが、
心に【自分】が育っていないと、そういった次元では無く、他者の自分に対する評価が、自分の存在価値に直結している、のです。
心に確かな【自分】という意識が育っていれば、それなりに他者の自分に対する評価が気になりはしても、
他者に合わせてカメレオンの様に自分の色を変えることは、ありません。
心の中の自分を曲げてまで他者の自分に対する評価を上げよう、とはそうそう思いませんし、
他者が好意を持ってくれる様な自分を、演出しようとは思いません。
心の中に【自分】が確立していて、その【自分】は、存在するだけで価値が有る、という安心感が有るからです。
心の中の【自分】が充分に育っていないと、自分に対する、安心感、は持ち様がありません。
自分には価値が有る、と思いたくとも、【自分】が育っていないのですから、思い様が無いのです。
心の中の【自分】は、肯定的に受け容れられ、感情や存在を一個の人間として尊重される幼少期があってこそ、充分に育ちます。
心の中に【自分】が育っていない人は、そんな環境に恵まれなかったのだと思います。
否定的に扱われ、拒絶される環境に育ったのだと思います。
否定される、拒絶される、と言うと、親の意に背いた時に、罵倒されたり、ぶたれたり、する事を連想する人は多いかと思うのですが、
【自分】を育てる事に失敗した人の中には、親から怒鳴られた事も、ましてや、ぶたれた事など無い人も少なくありません。
その親は、もっとやんわりとした、しかし、確実な方法で、子供が【自分】を持つ事を阻害します。
たとえば、親が幼児に、賢く大人びた子であることを望むとき、
子供が戦隊モノのヒーローのおもちゃに興味を持つことを良しとしません。
「◯◯くんは、あんな幼稚なおもちゃで遊んで、恥ずかしいね」
「お前はあんな幼稚なモノはキライだよね」
親から、そう言われると、幼い子供は、うん、と頷くしかありません。
すると、ダメ押しに、
「よかった、お前があんな馬鹿みたいなおもちゃが欲しいと言ったら、どうしようかと思ってたよ」
こう言われると、その子は今後、戦隊モノのおもちゃが欲しい、とは言えなくなるばかりか、
本当は、幼稚なおもちゃが欲しい自分を恥じます。
親から否定されるばかりでなく、自分で自分を否定します。
自分で自分を否定するということは、自分を恥じ、自分を嫌う、ということです。
そんな心の中に、【自分】が育つことは無く、【自分】は縮こまってしまいます。
その子は、親の顔色は分かっても、自分の感情が分からない子になります。
心の【自分】が小さく固く、縮こまった代わりに、心にはべったりと、無価値な自分、という思い込みが貼り付いてしまいます。
心に【自分】が育った人は、自分の価値に疑いが無く、安心感があります。
だから、他人の評価に過度に脅かされることはありません。
【自分】を育てる事に躓いてしまった人は、心には、無価値な自分、という思い込みが貼り付いています。
つまりデフォルトの自己評価は、無価値、なのですから、
他者の評価が必要なのです。
他者から、高く評価されたり、好かれたり、褒められたり、する事で、自分が抱える無価値感から目を逸らすことが出来ます。
他者の目が、自分の無価値感を補填してくれる訳です。
だから、他人の評価に振り回され、自分の本当の感情には無頓着になってしまいます。
本当は戦隊モノのおもちゃが欲しいのに、
親の顔色を伺い、興味の無い、知育玩具で遊んだ幼い日の出来事を、
大人になっても繰り返します。
心に【自分】があっての我慢、忍耐と、
【自分】が無く、周りの評価や評判や好意を欲することは、全く別の事です。
【自分】があっても、無くても、誰の人生にも、望まない出来事は起こります。
しかし、【自分】がある人は、自分が好きなので、自分の人生もまた、大切です。
だから、自分の人生をより良くする我慢や忍耐は、辛さの中に人生を大切にする喜びを感じることが出来ます。
【自分】が無い人にとっては、嫌いな自分の人生なんて他人事に思えます。
そこに現れる望まない出来事は、どこまでいっても望まない事であり、
我慢は我慢でしか無く、
忍耐は忍耐でしかありません。
豊かな人生を望むとき、
軽やかに歩みたいと望むとき、
心の中に【自分】を見出すことは、
とても大切だと思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム