かつての虐待は矢の様に過去に飛び去る
たとえば、
夫婦喧嘩をしたとします。
昨夜の事です。
派手にやらかしました。
なんとか血の雨が降ることは無かった訳ですが、
今朝も腹わたは煮えくり返っています。
言葉を交わすことも無く、夫は出勤し、専業主婦の妻は家に残ります。
夫は出勤の電車に揺られながら、既に帰宅した際の気まずい、冷たい空気を想像するだけで、うんざりするのです。
そして思います。
「どうしてこんなにまで気の合わない女と一緒になったのだろうか」
思考は過去に飛びます。
「アイツと結婚したのが間違いだった。」
そして未来にも。
「アイツと死ぬまで暮らすのか。」
思考は現在に戻り、
「アイツが悪い、俺はもう謝らない。」
アイツの3連発です。
夫はアイツ=妻に心を乗っ取られています。
夫の心の主導権は妻にあります。
もしも、今夜帰宅した時に妻が謝ったとしたら、夫も機嫌が良くなるかも知れません。
逆に、今朝の様に妻が目も合わせず、一言も言葉を発しなかったなら、妻の怒りは収まっておらず、夫の機嫌も戻らないまま、冷たい戦争は激化と長期化の様相を呈します。
妻が謝ったにしても、
妻が無視を決め込んだにしても、
夫の心は妻次第、主導権は妻にある訳です。
これは、とりも直さず、
フォーカスが他者に向いているから、と言えます。
私達がコントロール出来るのは、自分の心だけです。
他者の心はコントロール不能です。
そのコントロール不能な他者に心の主導権を明け渡したなら、
自分の心はコントロール不能、相手次第という事です。
この場合の 相手次第 は、冷静に相手の出方を見る場合とは、全く異なります。
コントロール不能で相手次第なのか、
冷静に出方を見ているのか、の違いは、
心が大きく波立っているか否か、です。
アイツを3連発している時点でコントロール不能なのです。
では、
心の主導権を他者に明け渡さない様にするには、どうしたら良いのでしょうか。
フォーカスを他者では無く、出来事に向けるのです。
アイツでは無く、夫婦喧嘩をした という出来事に、です。
他者にフォーカスすると、アイツとは帰宅すれば毎日顔を合わせる訳ですから、その都度、相手次第の不安定な状態になってしまいます。
そして、他者はいつも自分の人生の中の「今」に存在し続けます。
私達が触れる事が出来るのは「今」だけです。
過去や未来は私達の想念であり、触れる事は出来ません。
そして、
「今」の連なりが人生です。
出来事は起こったその時を過ぎれば、過ぎ去った過去の出来事になります。
出来事は次々に起こり続け、一瞬後には過去という想念の中に、矢のように飛んで行きます。
夫婦喧嘩をした、という事実すら矢が飛んで行った後の残像の様なものだと言えます。
フォーカスが他者に向くと、
心の主導権は他者に移ります。
他者はコントロール不能です。
他者は「今」に居続けます。
どうしても、恨みがましく、恩着せがましく、行き過ぎた干渉に陥りがちです。
フォーカスが出来事に向くと、
心の主導権は自分にあります。
自分の心はコントロール出来ます。
出来事は一瞬後には過去の事になります。
出来事が矢の様に過去という想念に飛び去った後には、事実が残像として残りますが、フォーカスは私達が触れる事の出来る「今」に移ります。
「今」にフォーカスし、過去に有った事実をふまえ、どう対処するかを決めるのです。
主導権は勿論、自分に有ります。
つまり、自分の人生の「今」という1ページに、自分で絵を描き、自分で色を塗ります。
上手く描けても、出来が良くなくても、自分が決めたタッチで、自分が決めた色合いであることが、満足を連れて来ます。
文章にするとゆっくりに感じられますが、これは極めて反射的、光の速さのルーティンです。
出来事は常に起こり続け、このルーティンも連続して繰り返されます。
その事が腑に落ち、自動運転の状態になるまでは、
フォーカスは出来事に向ける、というクセづけが大事な気がします。
例え話として、
夫婦喧嘩をサンプリングしましたが、
これは、生きづらさを抱える人の、親子関係にも当てはまります。
虐待の記憶から親に怒り、親を恨むのは、正当な事であり、
むしろ、怒りや恨みの感情を抑え込む事は、避けなくてはならないと考えます。
しかし、
生きづらさを手放す過程で怒り、恨むことは必要ですが、
怒りと恨みに呑まれたまま、そこに安住しては、
苦しみから解放されることからも、生きづらさを手放すことからも、離れてしまう様に思います。
フォーカスが、かつて虐待した親から、
かつて虐待されたという出来事に移った時、
出来事は矢の様に過去に飛び去り、虐待された事実は残像に変わり、
フォーカスは「今」に移るのだと思います。
生きづらさを脱ぎ捨てて、「今」を生きる、
自分の人生が始まる様に思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム