人は悩む、と受け容れる
人って、悩みますよね。
人は、感じることと考えることの、バランスを取りながら生きています。
悩んでいる、という事は、考えること、つまり、思考、がググッと幅を利かせている状態です。
本来、感じること、が圧倒的に優勢で、考えること、はここぞというときに集中的に働くバランスが望ましいのですが、
悩んでいる状態は、思考に偏り過ぎている状態、と言えます。
思うに、どうやらヒトという生き物は、脳みそがデカくなり過ぎた様で、
放っておいたら、感じることをないがしろにして、考えよう、考えよう、としてしまいます。
いつも記事の中で、
幼少期に肯定的に受け容れられた、健やかな人、
幼少期に否定的な扱いを受けた、生きづらい人、
といった様な表現をしますが、
健やかな人であっても、人生に望まない出来事は起きますし、当然、悩みも有ります。
健やかであっても、生きづらさを抱えていても、
先に述べた様に、脳みそがデカくなり過ぎた、ヒトなのですから、思考が必要以上に幅を利かせることは、有る訳です。
皆、悩みます。
しかし、悩むとき、両者には違いが有ります。
健やかな人は、自分の存在に対する安心感が有ります。
自分は存在するだけで価値が有る、という感覚が、当たり前に備わっています。
平たく言うと、自分が、好き、です。
自分が好き、だから、好きな自分、の人生もまた、大切なのです。
望まない出来事も、悩みも、大切な人生の構成要素ですから、悩みに呑まれません。
悩むことすら、大切な人生の1ページだから、です。
生きづらい人は、自分の素直な感情を否定される環境で育った為、自分の感情を疑ってます。
そんな疑わしい感情、を生み出す自分という存在を嫌ってます。
心に安心感は無く、あるのは無価値な自分、という思い込みです。
そんな無価値な自分、嫌いな自分、の人生は、まるで他人事の様に感じられます。
自分の感情に懐疑的ですから、嬉しさ、楽しさ、にも、1枚ベールが掛かった感覚で、人生にリアリティを感じられません。
砂を噛む様に味気ない、のです。
味気ない、他人事の人生に起こる、望まない出来事や悩みは、
苦しみでしかなく、苛立ちでしかなく、それは怒りを運んで来ます。
怒りは、ネガティブな感情の中でも激しい感情です。
この人にとっての、悩み、は、
苦しみであり、苛立ちを伴ないます。
苦しみ、苛立ちの傍らには怒りがあります。
この人に守りたい人生は無く、悩み、苦しみ、苛立ち、怒り、といったネガティブに呑まれます。
誰の人生にも望まない出来事は降りかかり、悩みは尽きません。
しかし、悩みに呑まれる人もいれば、受け容れる人もいるのです。
両者の違いは、
大切にしたい人生があるか否か、
自分の存在に安心感があるか否か、
自分のことが好きか否か、
だと思います。
生きづらさを手放す道のりは、
自分の価値を思い出し、
安心感を見出し、
自分を好きになる、
ただ、それだけのこと、
だと思うんです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム