
真実をありのままに見て、人は皆愛そのものだと気づきたい
前回、母から愛されることを「諦めた」ら、母の真実の姿を「明らかに眺める」ことが出来る様になった、とのお話しをさせて頂きました。
母が倒れたのが、1年と10ヶ月前。
視力が低下し、自立歩行が困難になり、認知症の症状が進行し、排尿の為の管が身体に入り、
母にとって大変な2年足らずの期間だったと思います。
私は何十年も暮らした土地を離れ、母の暮らす郷里に戻って来ました。
私は私で決断は必要でしたが、悩む暇が無かったので、全部見切り発車、走りながら考える日々でした。
母から逃れる様に、都会に居を移してから、数十年経っても、私の心には、幼少期に住み着いた母が、居座り続けていました。
物理的、経済的には離れても、心理的には母に「執らわれ」続けた、いや、もはや閉じ込められて「囚らわれ」た状態だったと思います。
しかし、紆余曲折有りながら、私は母を「諦め」、母を「明らかに眺める」に至りました。
母は、相変わらず息子をコントロールしようと躍起です。
それは、認知症が進んでも、身体の自由がきかなくなっても、変わることはありません。
返って、他に興味が無い分、どうやって息子を思い通りにコントロールするかに、全精力を傾けている感じです。
私はどうやら本当に母を諦めたらしく、母の嘘や、認知症なのだろうかと疑う程の巧妙なトラップも全部「明らかに眺める」ことが出来ます。
ただ、こちらに戻ってから1年半も過ぎたのに、飽きもせず、悲しい嘘と芝居を繰り返す母を見たくない気持ちは、山々です。
記事に母が「ありがとう」と口にするようになったと書いたことがありました。
実際、そうなのですが、それすらもコントロールするための「撒き餌」だったりするのです。
ここまで、自由がきかなくなって尚、そこに執念を燃やすのは、私には、その原動力が理解を越えるところに有る、としか思えません。
私は母から教わったことで、今現在役に立っていることが、一つあります。
それは、ズルい人が相手をハメた時に、押さえきれずについつい見せる喜びの表情です。
実社会には、残念ながらズルい人は居ます。
そして、相手をハメること、陥れることが、至福の喜びになってしまっている人は、上手くいった時、母と同じ表情をするのです。
細かくは、説明しませんが、極めて子供じみた表情と言いますか、溢れんばかりの喜びの表情です。
母にしても、極幼い頃に、大きなショックを受け、その幼い時点で凍りついた心は成長の歩みを止め、
残酷な幼児性の「やってやった」と言う喜びの表情なのだと、私は思ってます。
人は皆、幸せになりたいと思う事がデフォルトの姿勢だと言います。
私もそう思いますし、そうであって欲しいとも、心底思います。
しかし、そうであるならば、何があったなら、他人をハメて、あんなに噛み殺そうにも、噛み殺せない、抑えようにも、溢れてしまう程の喜びを感じる様になるのでしょうか?
私とて、健やかな家庭に育った人から見れば、悲惨な幼少期があります。
しかし、母の、また、その他のズルい人の他人を陥れて、爽快になる心理が、今ひとつ理解に苦しむ部分はあります。
世には、カバートアグレッションとか、フレネミー、サイコパス、ソシオパス、テイカーなど、邪悪とも思える性質を持つ人々を指す、言葉も散見されます。
でも、思うんです。
私達が見る世界は、私達一人ひとりの思い込みや、意味づけが、現実を創るなら、
やはり、人は誰しも生まれ落ちた時は、愛そのものの存在であり、
人は誰しも幸せになりたいと願っている、
と信じ、その様な世界を見続け、
その様な世界に生きていたいと、そう思います。
真実をありのままに見定めることと、人が皆愛そのものの存在であることを信じる事は、
一見離れて居る様に見えますが、実は、隣り合い、密接に関わり合うことなのではないか、と思ったりします。
諦めることと、明らかに眺めることが、ほぼ同時に理解出来た様に、
事実をありのままに見ることと、人は皆愛そのものの存在だったと解ることが、同時に起こることだってあると、なんとなく信じています。
それを解ることが出来たなら、この世界をもっと好きになり、
人をもっと優しく見る事が出来るのですから、
その景色を見てみたい、そう思ってます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム