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完璧主義はどうやって造られたのか
形あるものは、いつか壊れ、
肉体は、いつか朽ちる、
という事以外に、完璧、100%、間違い無い、という事柄が思いつきません。
おおよそ、完璧、という事は、私達が生きる世界に於いてはそれ程、稀有、な事なのだと思っています。
ところがその、あり得ない程の、完璧な状態、を追い求めて止まない人は、少なく無い様に感じています。
完璧主義、などと言われます。
あり得ない完璧、を求めているのですから、どこまで追いかけても、砂漠の蜃気楼の様に、手が届く事は無いでしょう。
完璧主義者は、過度な心配性であり、悲観主義者でもある、と思います。
手が届かない物を求め続けるところに、安心は無いと思われますし、
完璧を求める楽観主義者、は、ロジックが既に崩壊していますから、おそらく存在し得ないと思います。
よって、完璧主義者は、過度な心配性にならざるを得ず、
同時に、世の中を悲観的に捉えるしか無い、と言えます。
心配症の人は、現状に満足していない心理状態に在ります。
現在の自分に満足していれば、不安に駆られるという事が無い、つまり、現状が満ち足りていれば、心配とは、ほぼほぼ縁がありません。
届かない、と半ば分かっていながら、不安に追い立てられ、完璧を求めるのですから、そこには焦燥感と悲壮感に彩られた景色が広がります。
楽観視する要素は見当たらず、自ずと
悲観的にならざるを得ません。
求めても届かない物を、求めて止まない、その心理は、どこから湧き出したのでしょうか。
完璧主義者は、昨日今日、そんな心持ちになった訳ではありません。
まだ、心が白く柔らかい時から、現状の自分ではいけない、と思い込まされて生きた過去が、その人には有るのだと思います。
現状の自分、の言い方を変えるなら、ありのままの自分、ということです。
その人には、ありのままの自分を否定され、拒否される環境に育った過去が有る、と思います。
ありのままの自分、を否定するのは、心が未成熟な親、です。
冒頭に触れた様に、この世に、完璧、という事柄は、おおよそ見当たりませんから、子育てにも、やはり完璧はあり得ません。
親は、間違います。
間違って、我が子の白くて柔らかい心を傷つけます。
しかし、親が、一つの物さえ携えていれば、子供が深く傷つく結果にはなりません。
その一つの物とは、愛、です。
親は人間ですから、子育てを間違います。
間違って我が子の心に傷も付けます。
しかし、そこに、愛、があれば、子供の傷が深くなる事はありません。
浅い小傷は、その子の個性や、人としての、味、となる、紋様、です。
愛、という表現が、漠然としているなら、
子供を、尊重、すること、そして、
子供を、思いやること、です。
子供を自分の所有物だと勘違いしない、という事です。
子供には、親とは独立した心が有り、親は子供の、その小さな心の声に耳を傾けなければならない、という事です。
ところが、受け容れる側の心が、あまりにも未成熟だと、愛、を持つことが難しいのです。
愛、は、心が成熟することによって生み出されます。
愛、の主成分とも言うべき、尊重、と思いやり、は、心の成熟があって初めて、獲得できる、一段高い所に位置する心の在り方だからです。
未成熟な親は、自分の心が未成熟である、という自覚はありません。
自覚が無いから、子供を愛しているつもりで、子供に絡みつき、
子供の為と言いながら、徹頭徹尾、自分の事しか考えられません。
惜しみなく与えるつもりで、限りなく奪います。
したがって、親が望む子供であれ、と押し付けます。
ありのままのその子を蹴散らし、親の理想を押し付けるのです。
そうやって育った子は、当然の事ながら、ありのままの自分を、自分自身で徹底的に否定します。
今の自分では許されないのです。
完璧を目指します。
100%でなくてはならない、のです。
完璧を、100%を目指しながら、それが叶わない目標である事は、目指している完璧主義者も薄々解っていますが、
ありのままの自分が許されないから、目指さざるを得ないのです。
しかし、完璧主義者はポッキリ折れると、土台無理な目標を目指す気力を失い、無気力な状態に陥ります。
燃え尽きます。
動けなくなってしまいます。
ありのままでは許されない、という焦燥感に追い立てられ、
決して届くことの無い、砂漠の蜃気楼に手を伸ばしても、
その手は空を掴みます。
どの様な生き方を選び取るか、は、自由ですが、
生まれた時から、押し付けられた人生を歩み、苦しむ事は、
生き方を選び取る局面を通過していない様に思います。
自分の完璧主義から紐解いて、
今一度、人生を選び直すことも、
有って良い、と私は思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム