推奨文字数を無視し、"長ったらしい"noteを書く理由
こんにちは。
3,000文字〜4,000文字ほど、たまに6,000字とかにもなる『長ったらしい記事』をnoteでよく書いている、なんばです。今日は、推奨文字数を無視して、それをだいぶオーバーする記事を書き続ける理由について書きます。
計算しつくされた意図や知られざる裏技があると期待する方を裏切らないために先に結論をお伝えしますと、「だって、長くなっちゃうんだもの。」というだけの話です。すみません。
ただし、意図的ではないとはいえ、推奨文字数を無視しているこの事実に対する考え方、スタンスというものはあって、そこを言語化しておこうと思った次第です。
こんな流れで行きます▼
推奨文字数は2,000文字ほど
noteで読者がサクッと読みやすい文字数は1,500〜2,000文字程度という情報を以前目にしました。ここは諸説あるようで、もっと多い文字数を提示されているのも見たことがあります。記事のテーマやターゲットによると思うので、一概には言えませんし、そこまで熱心にリサーチしたわけではありません。ただ、あくまで一般論として、2,000文字程度を推奨している情報が多い印象です。
そんな中、私の記事はというと、いつも3,000文字〜4,000文字になることが多い。
パソコンで書いていると、右上にずっと文字数出てるじゃないですか。意識してはいるんですよね、推奨文字2,000くらいだよな?って。で、多くの場合、2,000文字に到達した時点で、とても閉じられる気配がない。で、無視します。
「いや、構成とかまとめて整理しろよ。」というツッコミもあるかもしれません。
確かに、更新前に読み直して不要だと感じた段落を消す、冗長で同じことを繰り返している部分をスッキリさせる、みたいな作業はします。
しかし、この文字数に収まるように…という視点で短く調整することはありません。基本的に編集画面でブワ〜っと書いて、ピッて更新しちゃいます。結果生まれるのが『長ったらしい記事』です。
文字数 = 情報量ではない
文字数というのは、文字の数のことです。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!という、『なんか勢いよく叫んでいる』という情報しかないこれ。これで20文字。
喋り言葉だから長いだけ
先に超絶シンプルな事実に触れておきます。記事の文字数が多くなる理由の一つは、喋り言葉をそのまま文章にしている点にあります。
「〜だと思います」「〜と思いませんか?」「失敗しました」で済む文章を、いちいち上記のように書いたりします。チリツモで増えゆく文字数。(だから文字数のわりに、内容はそこまで詰まっていないとも言える…笑)
等身大で普段の自分の言葉で、飾らず書こうと思っています。カフェで目の前に人がいて「聞いてくださいよ」と話しかける感覚で言葉を綴ろうとすると、喋り言葉にした時に私は最も手が動くのです。
文体には好みがあるし、万人受けはしないでしょう。ただし、個人でやってるnoteですから、自分が一番表現しやすい手法がベストかなと思っています。
葛藤をそのまま綴るので長いだけ
先ほどお話しした「等身大で書く」という執筆方針とも繋がりますが、私にとってnoteは自己紹介の場です。ここで言う「自己紹介」とは、単に経歴やスキルをアピールすることではありません。普段の思考や感じていることを正直に公開するというスタンスです。
仕事におけるスキルや実績のPRは、一面に過ぎません。変に着飾って嘘をつくことはありませんが、それでも、仕事用の情報は「得意なこと・できること」を中心に、シンプルで端的で簡潔になりますよね。
一方で、発展途上の部分や葛藤については、文脈上説明が必要な場面を除き、わざわざ触れる機会は少ないもの。
しかし、個人で仕事をいただく以上、スキルや実績などの綺麗な情報だけではなく「自分がどういう人間か」を広く開示する大切さも感じています。自分が逆の立場であれば、スキルだけでなく担当者がどんな方かも気になる。
シンプルに伝える事業用のWebサイトと分けて、noteで日常や価値観を発信しようと考えた理由はここにあります。
失敗や葛藤、迷い、悩みなど…人間らしい部分を含めて書くと、どうしてもグルグルめぐる思考をそのまま反映する形になりがち。簡潔に事実を伝えることを目的としていないからこそ、ある種の「回りくどさ」も削ぎ落とさないでそのまま残すようにしています。
そんな"長ったらしい"文章は読まれてるか?
推奨文字数は、読者が負担なく読めるかどうかを基準に提示されているものでしょう。では、長ったらしい私の記事は負担で読まれていないのか?というと、そんなこともないと思っています。
3ヶ月目に突入して感じること
ダッシュボードで確認できるビュー、『スキ』やコメントの数、マガジンでご紹介いただく数でしか測ることはできないので、どれだけ深く読んでもらえたか?共感してもらえた?役に立てた?まで細かく把握することはできません。
ただ、記事の詳細な中身に触れるコメントをいただき、最後まで読んでいただけたんだなと嬉しくなる経験も何度かさせていただきました。noteから繋がり別のSNSで交流したり、意見を交わせたり、そんなこともありました。
フォロワー数やビュー数が爆発的に伸びていることはありませんが、スタートから2ヶ月にしては、発信に対する反応を確かに感じています。
推奨文字数はあくまで一般論
短くて読みやすそうなボリュームでも、面白くない文章はすぐ離脱します。理路整然としているようで、「君、AIだな?」と見透かせる、AI丸投げから生まれた人間味を感じない記事も閉じます。
逆に、最近読み入った記事はなんと20,000文字もありました。(2千じゃなくて "2万" )面白いし勉強になって、引き込まれるうちにさサラっと読んでしまいました。
短い文章が読まれるのは、内容が効率的に伝わるからであり、長い文章が読まれるのは、その分、深く掘り下げられた情報や視点があるから。文章の長さは重要ではなく、長い文章であればそれに見合った密度や面白さが求められるというだけのことかな?と思います。
「結局、内容次第である」という非常にありきたりな結論に辿り着くのですが。文字数や推奨形式よりも、質や読んでくれる方に提供できることが何かを優先すべし、です。
万人受けなど無いって割り切りも大事
推奨文字数は一般的な指標として確かに意味があると思います。しかし、やはり全ての文章に当てはまるものではありません。重要なのは、書き手である自分が作るものと、そこに訪れてくれた方が求めるものが一致するかどうか?
私の場合、深掘りした考えや、あーでもない、こーでもないと悩みながら考える過程を共有することに意義を感じています。その結果、自然と文字数が長くなってしまうだけだったりする。
自分が書くだけではなく、noteで他の方の記事を読むことも大切にしています。特に、コメントやリアクションをいただいた時には、その方のコンテンツも読ませていただくようにしています。すると、考え方や視点が似ていると感じることがあり、自然とその方の他の記事まで旅をしたり…。ベースの価値観が似ている方の記事には、「うんうん」と頷きながら深く共感する瞬間がすごく多いです。
「だから何になるのか?」と言われれば、単純に「考えが深まる」というだけの話かもしれません。でも、似た価値観の人と繋がり、そこで得られる新しい視点や思考の刺激がある。十分だと思っています。直接的に何かの成果に繋がらなくても、クリエイティブワークへの豊かな視点をお裾分けしてもらうような気持ちがあります。
自分が発信しなければ、似た考えの方からリアクションをいただけることも、それを通じてその方の視点を知って学びを得ることもありません。
だから、割り切ってます。
自分の文章が、興味を持ってくれた方にとって「面白くない」「読みづらい」と感じられれば、それは私の執筆力の問題で改善の余地ありあり。でも、長い文章そのものにアレルギーがある人や、短い情報だけを求める人には読んでもらえなくていいや、と。
先ほど「面白くなければ読まない」なんて一方的に書きましたが、その「面白くない」だって、ただの主観。私が面白いと思わないだけで、その文章が誰かにとっては最高に面白い、有益ってこともあるはずです。
らしさを貫き、それを正解にすれば良い
最後の最後に、ご紹介したい話。
昔、一緒にお仕事をさせていただいた町工場の社長。動画で発信をしたいと自ら勉強会に参加し編集方法を学ばれていました。しかし「おっちゃんにはハードルが高いで笑」と嘆いていました。
結果、編集ゼロ、一発撮りの長い動画をそのままアップするスタイルに変更。動画の尺はこれくらいにせよ、こういうとこはカットしろ、BGMはこうしよう、テロップはこうしよう、動画の最後はこういう情報を付けよう…みたいなのはフル無視。動画が暗かろうと、声がちょっと聞き取りづらいことをもあろうと、撮影した素材を一切編集せずにそのままアップ。
「おしゃべり好きな大阪のおっちゃん」のトーク力のポテンシャルとも合致し、愛されるコンテンツとなっていました。「おっちゃんはおっちゃんらしく、カッコつけずにやることにしたわ!」という言葉からは、発信者として大事なことを教えていただきました。
まずは一般的な手法を知った上で、それを自分のものにしていく。等身大の言葉や振る舞いが持つ浸透力は、バカにできない。
推奨文字数などの一般論を知ることも大事ですが、自分の考えが乗りやすい書き方や形式があれば、その声に従ってみるのも良いと思います。
自分らしく考えが乗る方法で書かせてもらいますわという独りよがりに見えるスタンス。ただ、個人の思考を発信するブログのような場では、そんな『独りよがり』や『エゴ』に味が出る。読んでいる側はそこに惹かれたりするもの。
だとしたら。エゴが求められるなら、それはエゴなのか。そんな哲学的な問いにぶつかったのでもうやめます。
ここまで、4,330文字(笑)長いことお付き合いいただきまして。ここまで読んでいただきありがとうございました!
ではでは、今週もお疲れ様でした☕️