循環と円環の思想(仮説)
養老孟司さんの本を読んでいて
感銘を受けたのが
心臓や血管は
構造であって
血流の循環機能こそが
心という認識に近い
ちょっとニュアンスが
変わってしまっているかもですが
とりあえず
心という概念に
単一的な“何か”
いわゆる構造としての
存在を認めようとするのではなく
あくまで循環機能
流れや変化の中に存在しうるもの
・この考え方を参考に
循環という機能は
この時間世界においては
当然一方通行ですが
自然界において
円環的循環がまずは一般的かなと
年間周期や季節
人の細胞にしたって半年には入れ替わる
リズムや波や振動
・本来
止まることを是としないはずの機能に
なぜ心は単一性
一貫性を要求しているのか
・少し話を展開して
原因があれば結果が生じる
その結果が次の原因となり
そしてまた結果になる
これにしたって円環的に循環している
・次にもうちょっと深く
何かをすれば結果が出る
そして
何かをしなくても結果が出る
本質的に何もしないというのは
何もしていないということにならない
・さらに飛躍します笑
一つの事象取ってみても
価値観や何やらで
受け取り方なんてものは千差万別
悲観的にとらえることも
楽観的にとらえることもできる
どちらをとっても結果がでる
・ということは
悲観的な展開は悲観のループを生み
楽観的な展開は楽観のループを生む
そもそも違いますね
悲観も楽観も循環していると捉えれば
どちらも
起こりうるのは必然
・ではその循環の中で
一貫性の幻想を抱くにはどうすればいいか
自分を騙す
いいことがあっても
悪いことも起きるかもしれない
慎重に
悪いことがあっても
必ずずっと続くわけでもない
寛大
・自己、心に
単一的な自身の存在を認めるのではなく
ベクトル、つまり指針に
重きを置く
・結論
早い話がこれが言いたかったのです
楽しんだもん勝ちじゃね??笑
・オチ
ちょっと雑でしたね。
考察し直します
・補足
”楽観的“
ただただ能天気に何も考えず
未来を見据えてるわけではなく
悲観を考慮した上での楽観
を言いたかったつもりですが
すみません
楽天と楽観も曖昧なままなので
これも勉強し直します
最後まで
お読みいただきありがとうございます