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〇〇がある生活#03 〜お守り〜

東京に来てから5ヶ月が経とうとしています。ついこの間まで「まだ3ヶ月かぁ」なんて言ってたはずなのに早いものですね。さて、〇〇がある生活も今回で3回目。これは引っ越しをするための準備に追われていた時、ふと思いついたアイディアです。持っていくもの置いていくもの、その選別によって今の自分が何を大事にしているのか、自然にわかってくるものなんだなぁと感じたことが始まりでした。それは物だけではない気がします。私にとって大切なことが、誰かの共感を得られたなら嬉しいものです。


実家から離れると決まった時、何を1番気にしたかと言うと、「仏壇・神棚・お墓」の3つです。私が住んでいたのは母方の祖父母の家で、祖父は13人いる兄弟の長男でしたから、仏間には曽祖父世代からの写真が並べられ、子供のいない親戚の方々が連なっておりました。田舎あるあるですよね。仏壇とは別に神棚もありまして、元々農家だったことから豊作などを願ってかと思われます。お墓は歩いて3分のところにあり、しかも田畑に囲まれた昔ながらの集落ですから、実は親戚だったなんてことがあったり、祖母のご先祖さまのお墓(といっても1番遠くて明治とかなのでほぼ石)もあり、手を合わせるところが多いこと。

毎朝のルーティンは、まず仏壇と神棚のお水を入れ替え、それぞれお参りします。仏壇にはだいたい「みんなおはよう!みやこだよ、今日もよろしく」と言うのが定番で、あとはその時の気分で近況報告したり感謝の意を述べたりします。神棚には超個人的なお願いをしたり、何もない時には「今日も健康で元気に楽しく美味しい1日になりますように」と平凡な1日をお願いします。ゴミ出しがある曜日にはすぐ隣にお墓があるので、順々にただ手を合わせて挨拶します。仏壇と神棚を足した感じです。

これが実家での私の朝でした。でも初めからそうだったかというと違います。というかこのルーティンはおそらく半年もなかったはず。ほぼ9割の期間、母が毎朝やっているのを横目にダラダラとSNSを見ていました。それがなぜ急にやろうと思い始めたかというと、旅行先で買ったお菓子のお土産を、一度仏壇にお供えしてからいつも食べるのですが、その時なんとなく「行ってきたよ食べてね」と言って”りん”を鳴らしてみたら、すごくスーッとして、瞑想状態になったことがありまして。それがあまりに心地よく、翌朝からハマったようにやり始めたのがきっかけです。

やってみると頭の中が整理されるし、水を取り替えているだけなのになんだか掃除したような気分になりました。家に仏壇や神棚があって、私のようにスルーしている方は是非やってみてください。面白い変化があるかもしれません。

すぐ近くの神社にもよく通っていました。人気のない、放置されたような田舎のよくある神社です。疫病除けの神様も祀られていたので、コロナの時期には本当によく参りました。と言ってもウォーキングのついでに寄るだけで、お金は入れてませんでした。神様にはいつも言っていましたが改めてこの場を借りてお詫びします。すみません。


こんな風に過ごしていましたから、上京が決まったとき、離れるのがとても寂しくなりました。たった半年にも満たないルーティーンが、私の全てのように感じてしまい、仏壇や神棚やご先祖さまがいない東京で、どうやって生活しようかと不安に感じたものです。ですから、運び出す荷物を準備するとき、割と早めの段階で、神社のお守りや集めた御朱印を詰めました。さすがに仏壇や神棚は持っていけませんので、自分なりの祭壇を作ってみようという考えからでした。

ですが実際蓋を開けてみたら、仏壇や神棚やご先祖さまがいない生活は特に問題になりませんでした。実家で過ごした9割の時間と同じなのですから。ただ、「やらなくてもいい、でもやると違う」。それを知ってしまった以上、たまに物足りなさを感じてしまいます。そんなことが他にもたくさんあるかもしれません。そんな時は心の中でつぶやきます。その度に悩んでいることがちっぽけに感じたり、物事をシンプルに考えることができたり、童心に返ったような気持ちになります。

正直、お守りも御朱印も祭壇も関係ありませんでした。大事なのは形ある物ではなく、それを求める心だったのかもしれません。別にものすごい信仰心があるわけではありません。宗教について語るつもりもありません。分かりませんし。ただ、いつどこにいたとしても気づいた時につぶやくだけです。

「みんなおはよう!今日も健康で元気に楽しく美味しい1日になりますように。今日もよろしく」

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