大切な作品ほど、人には言えないんだよ
じぶんにとって外せない、何かが変わるように思えた、映画、本、漫画、アニメ、曲、絵、、、そのほとんどを私は人に言えない。
特に大切な人には。
1 きっかけになった漫画を紹介したい
私がこの投稿をしようと思ったきっかけの漫画。
『違国日記』ヤマシタトモコ先生の作品。
人見知りな小説家である高代槙生(こうだいまきお)が、槙生の姉の遺児である朝(あさ)を勢いで引きとり、二人の同居が始まる。
朝は両親を亡くしているからか、勝手に朝を軸に話を読んでしまったが、「姉の遺児」という紹介文から、槙生が軸なのだとさっき気が付いた。
(まだ五巻までしか読めていないので、どうかネタバレはしないでくださいね…。)
五巻の表紙の帯に、
『これは私の物語だ』と思ってくださる方がいたら、その方のために描いている。――ヤマシタトモコ
と書いてあった。一巻からずっと「この感情を私は知っている」と何度も漫画を閉じては泣きながら読んだ身であるので、その帯を読んでまた泣いてしまった。
まだ一度しか読めていないため、細かい感想は最新刊までじっくり読んで、投稿したくなったら投稿しようと思う。
人付き合いがとことん苦手な槙生は、親を亡くした実感がいまいち沸いていない朝に対して
「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」
と言う。
確かにそうだよね。と思う人は多いかもしれない。でも実際に誰の感じ方も責めずにいる人はどれほどいるのだろう。知らず知らずのうちに責められていた、責めていた人もきっと多いように思う。
今回はそのように思って、パソコンに文字を打ちこむことにした。今までスマホで書いていたから、少し慣れないけど楽で楽しい。(日本語って面白いね)
2 本音がつまった大切な作品だから
大好きな作品を人に言えないのは、
端的に言って、自分の本音を人に知られたくないからだと思う。そして、
「本音を知られる」=「本音を傷つけられる」
という式が私の中にあるからだと思う。
本音を傷つけられた経験など、今あまり多くは思いつかない。だけど、きっとそういう経験が積み重なってしまった。プラス、私の傷つきやすい性格もあるだろう。
冒頭に書いたような大切な作品というのは、これは私の中の私の代弁者だ、という感覚に陥らせてくれる。「そう、そうだよね」「ああこの子は私だ」と思いながら自分の中にいる自分に、自分が寄り添う感覚になれる。
その作品と私は、私の本音を介して繋がるのだ。
そんな大切な作品を人に知られたら、必死に守っていた自分の本音に土足で踏み入られる気分になる。それがとても怖い。本音を知られることによって、相手からどう思われるかが、相手が私を嫌いになるかもしれないことが、とても怖い。
その作品をもし軽蔑されたら、私は自分を否定されたように思うだろう。私は自分の大切な人に嫌われたくないのだ。私は自分のことを自分をよく知る人に言うのがとっても苦手だ。変なことを言ってはいないだろうかと考えているときのストレスがとてもきつい。しんどい。
3 でもね、本当は言いたい
この作品のここに感動した、共感した、と言っている人を見るとなんとなくうらやましい気持ちになるし、びっくりする。
それは私も隠している本音を、心のどこかでは知ってほしいから。
相手の本心に触れて、私の反応で相手を傷つけてしまうのが怖いから。
私の大好きな大切な作品に、『違国日記』以外に何があったかなと考えると、その多くが同性愛に絡んでいたり、心の動き、特に生きづらさとか沈んだ心とかが繊細に表現されていたりする。『違国日記』は後者に当てはまる、今のところ。
知られたくない、でも知ってほしい。知られて初めてスタート地点にたてるような気がする。けど、やっぱり傷つくことが、傷つけてしまうことが怖くて言えないんだ。
いつか本音を口にしたいから、少しずつ自分の言いたいことを言ってみることにしようと思う。どうしてわたしはこうなんだろうな~。
私が人に言えない大切な作品たちは、自分の中の自分を知るただ一人の友達。作品を生み出してくれた方々に感謝しています。
読んでくださってありがとうございました!