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感情を手放した後:思考の切り替え研究室

こんにちは
思考の切り替え研究室
室長のLiNAです・・・
・・・思考の切り替えや
人の心や精神世界について
ひとり密かに研究しています。

今回も
その研究に関することを
書いていきたいと思います。


主婦の私は現在
作家活動をしながら
パートをしています。

パートの内容は
その場所に派遣されて
清掃をするお仕事なのですが

先日、そこの社員さんに
ミスを指摘されてしまったのです。


社員さんに
「契約がどうなってるか知らないけど
いつも三角コーナーって
ネットつけてくれてますか?」と聞かれたので

「ネットはいつも、つけているのですが
忘れてしまったかもしれません。」と
私は答えました。

そこで会話は終わり
その社員さんは仕事に戻りました。

たったそれだけの会話で
私はとても嫌な気分になりました。


「いつも忘れてるわけじゃないんだから
いちいち言ってこなくていいのに。」

「ネットをつけ忘れたのに
私は社員さんになんで
ちゃんと謝らなかったんだろう。」

「私は指図されるのが
大嫌いなのに。」

感情が反応して
ネガティブ思考が渦巻いて
とても嫌な気分になったので
感情を受け入れつつも
どうにか思考で
切り替えたようとしました。

けれど
たったそれだけの会話なのに

指摘はされたけど
注意されたわけでも
怒られたわけでもないのに
そんなただの会話
だって
分かってるはずなのに

思考を切り替えることが
どうしてもできなかったのです。

そこでふと
「感情は
『指図された、嫌だ。』って
そう思ったんだね。」
心の中でつぶやくと

しゅるるるる~っと
体の中で幽体離脱したみたいに
嫌な感情と距離を
とることができました。

そこで私は
その嫌な感情を
まるい玉にして
胸の前で両手に持って
見下ろしている・・・
そんな感覚になったのでした。


「感情は、○○って思ったんだね。」
この言葉はなんだか
とても強力な言葉です。


俯瞰して冷静に
自分の感情を見てあげるのに
すごく便利な言葉だと思いました。

そこで少し落ち着いた私は
そういえば
感情は記憶なんだから
この気持ちは
過去に感じたことがあるはずだと
思い出してみることにしました。

私の子供の頃の記憶です。

マナーやしつけに
厳しかった母に
「言う通りにしなさい」
「言うことを聞きなさい」
「親の言うことは絶対だ」と
よく言われていて
その度に怒りを感じていた自分を
思い出したのです。

そこで
その時の怒りを今感じて
嫌な気持ちになっていたのだ、と
まるい玉になった私の感情を
理解してあげることができました。

幼く知識の少ない頭では
母のその言葉たちが
私を愛してくれていない
私の認識している愛というものを
与えてくれていない、と感じて
大好きな人に愛してもらえない
その怒りや不安を感じていたんだよね。

でも
大人になった今なら分かるんだ。

子供を育てる中で
どう育てたら私が幸せになるか
どうやって愛したらいいのか
私のために迷って悩んで
精一杯の言葉だったんだよね。

母自身もきっと
同じように育てられたから
その方法しか分からなかったんだよね。

親の言うとおりにしなかったから、って
後悔したこともあったのかもしれない。

だから本当は
誰も悪くないし
私は愛されていたし

そうやって
おびえなくて大丈夫だよ。

いつの間にか
私は私と対話していました。


そして
気が付くとその対話は
そっと静かに終り

安心感に包まれながら
私は残りの仕事を終えました。

過去の記憶で意味づけた感情を
愛の記憶で塗り替え受け流した・・・
そのような感覚でしょうか。

胸の前に持っていた
怒りの感情という
まるい玉を
そっと手放して
その後に残ったのは
安心感に包まれ
リラックスした自分でした。

これが本来の
私たちの心の状態
なのかもしれません。


「手放す」「サレンダー」
「感情を捨てる」など
みなさんが伝えていることは
きっとこのことなのだな、と
なんとなくですが分かりました。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。




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りな
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