何事もタイミング。頑張るも、ぐうたらするも、タイミング。
こんにちは。NAKです。
この投稿は私が書いているけれど、
光たちからのメッセージもあるので、
光からのメッセージマガジンに加えますね。
大学卒業時から30代まで
焦燥感に襲われながら、
私が私に欲しているあれこれを
必死に自分に取り込むという
日々を過ごしました。
ようやく高い壁を越えたと思っても、
気づくと目の前には
こんな壁越えられないよという
高い壁が聳えていて。
その繰り返し。
40歳のとき、
義父と一緒に暮らすようになり、
日常を義父のペースに
合わせるようになりました。
12時までにお昼の準備。
18時半には夕食をテーブルに並べて、
食事は健康を気遣う義父に合わせた
メニューに変わりました。
不器用な私には、
作り置きができなかったのと、
18時半にはテーブルに
夕食を並べる必要があったのとで、
近所のスーパー以外に出かけることが
なくなりました。
それでも義父が元気なうちは、
なんとか自由になる時間が
捻出できていたのですが、
義父が癌になり闘病生活が始まると、
自分のための時間は
まるっきりなくなってしまいました。
友人に会わなくなり、
家に篭りきりで
どんどん気難しくなっていく
義父に合わせた日常は
7年間続きました。
自分を犠牲にしている、
という感覚はあったけれど、
これは自分が選んだこと、
という自覚もありました。
私は主人と離婚する気など
さらさらなかったし、
結婚したときに、
いずれこういう時期が来ることも、
覚悟していたからです。
私が一番大切にしている人が、
義父と過ごし、
義父にできる限りのことをしたいと
望んでいたのを私は知っていました。
そして私は
大切な人の気持ちを尊重したかった。
だから、
適応障害になっても、
重たい鬱病を発症しても
なんとか乗り切れたのだと思います。
夫婦の二人三脚。
絆がより深まりました。
重たい鬱病にかかった1年半は、
何もできなかったけれど、
そうなるほどに私は頑張ったのだし、
義父は私の鬱病を責めることなく
自炊していたときのように、
料理を再開しました。
義父の体調がいよいよ悪化したとき、
主人と私は
入院を頑なに嫌がった義父を
自宅で看病介護をしました。
24時間体制で臨んだ
自宅での緩和ケアと看取り。
私たちにできる限りのことができたと
思えたことは、
私にとっても主人にとっても
幸いなことだったと思います。
そして今、
私はこれ以上ないほどに、
ぐうたらな毎日を過ごしています。
これまで十分頑張ってきたのだから、
何年かぐうたらしたっていい。
といっても、
そう思えるようになったのは、
光たちのおかげなのだけれど。
これまで頑張ることに
脳が慣れてきていたので、
ぐうたらすることに
罪悪感があったのですが、
それがなくなりました。
仕事量は鬱病や義父の看病のときに
減らしたままの状態を維持し、
平日はぐうたらしまくっています。
エネルギーのほとんどは
週末に主人と五感が喜ぶ遊びに消費。
この30年頑張ってきたのだから、
50代はのんびりと
気張らずに過ごそうと思っています。
私はリフレッシュする間がない
30年を過ごしてしまいましたが、
光たちによると、
頑張りとぐうたらの周期は、
人それぞれだそうです。
コンスタントに生きられるタイプの人は、
週単位、月単位で
頑張る時間、
リフレッシュする時間、
ぐうたらする時間が周期するし、
熱中すると止まらないタイプの人は、
私のように年単位になるみたい。
それから、普段はコンスタントでも、
ある時期だけ年単位で
なんてこともあるようなので、
タイミングはそのときどき、
人それぞれなのでしょう。
私のようなタイプは、
ちょっと損なのかな?
適応障害になったり、
鬱病になりやすい気がします。
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