2020年 53冊目『井上円了 「哲学する心」の軌跡とこれから』
井上円了(えんりょう)さんをご存じですか?
東洋大学の創始者です。
私は知らなかったのですが、友人のNさんから名前を聞いたので、どのような人なのかと思い手に取りました。
いやいやすごい人ですね。
知と行動の巨人ですね。
知だけでも十分すごい。
行動だけでも十分すごい。
その両方を併せ持った人なのです。
もともとはお寺の生まれで、早熟で天才だったので、選抜されて学校、大学に行きます。
東大で初、しかも一人の哲学科の学生になります。
そして29歳で東洋大学の前身の哲学館を設立し、のちに哲学を中心とした東洋大学を設立します。
これだけでもすごいのに、明治のころに勢いをなくしていた仏教の復興にも尽力します。
しかも、仏教を復興させようとしたのは、お寺の生まれだからではないのです。
仏教(しかも自分の生まれの寺の宗教ではなく日蓮宗)の教えが良いからなのです。
ざっくりいうと
円了さんは、最初仏教を学び中身のなさに絶望し、儒教やキリスト教も学び、中身がなく絶望します。
自分で宗教を立ち上げようと考えていたそうです。
その後、海外を回り、そこでも徹底的に学び、哲学こそ諸学の基礎として重視したのです。
特にヘーゲルを評価し、相対と絶対の不二の立場を最高と見ました。
その立ち場で考えると、仏教も同等の心理を明かしていると再評価します。
そこから現象が時空とも無限に広がる可能性を見出します。
最終的には、活動主義にたどり着き、哲学の究極であると置いたのです。
哲学には向上門(演繹的な思考)と向下門(機能的な思考)がなければならず、向上は公下するためであると整理しました。
つまり、原理原則を見つけ、それに従って行動することが重要だということです。
原理原則は行動するためだということですね。
同時に、現実社会(来世ではなく)での利民、救世のためにはたらくことを最重要視しました。
また、実際に活動する際には、忍耐が必要かつ最重要であることを強調したのです。
つまり頭だけではなく、本当に実行できるためにはどうしたらよいかを考え、動ける人だったのです。
この話をすると誤解されるかもしれませんが、妖怪学の大家でもあったのです。
今からは想像できませんが、明治の日本の人々は本気で妖怪を信じていたのです。
恐れていたのです。
円了さんは、日本中の妖怪や怪奇現象を調べ、分類し、それを整理整頓したのです。
そして数十冊に及ぶ辞典にまとめたのです。
当時の日本は妖怪や怪奇現象を怖がっている人たちが全国各地にいました。
その人とたちにもわかりやすく講演して歩き回ったそうです。
大人気だったそうです。
しかも、とはいえ、すべての事が現在の知識ではわからないという科学の限界も明示していたそうですから、かなり柔軟な人だったようです。
究極には、東洋と西洋の哲学が相互に学びあうことで、さらにレベルが上がることを期待していたそうです。ヘーゲル、ソクラテス、釈迦、孔子の4人が東西の最高の哲学者だと考えていたようです。
1人の人が宗教、哲学、妖怪について学び、おびただしい数の書籍を残し、かつ学校を作り、現場で講演をしまくっていたそうです。
こんな方が東洋大学の創始者です。
知らないけれど素晴らしい日本人、まだまだいるのでしょうね。
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