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2019年 77冊目『古事記及び日本書紀の研究』

※こちらは2019年にfacebookに投稿された文章です。

先日松岡正剛さん主催のHCU(ハイパー・コーポレート・ユニバーシティ 略称はこゆ)の卒業同窓会に参加しました。

その際に、私たちの会の講師のお一人である枚岡神社の中東宮司と20分ほど二人でお話ができるという僥倖がありました。

お話は多岐にわたり、日本書紀、古事記から始まり、文学、哲学、科学、そして素粒子の話から最先端のAIのはなしまで濃密な時間を過ごすことができました。

その際に、記紀についてあまり知らないと思い、手に取りました。

想像以上に面白かったです。

この本は、昭和15年に皇室の尊厳を冒とくするという罪名のもと発禁になった本です。(最終的には裁判所が受理する前に時効になり免訴)

なぜ、発禁になったのか。

古事記や日本書紀といった日本の歴史≒天皇家の歴史の中に事実ではないものがあるという内容だからです。

津田左右吉さん(著者)のアプローチは極めて科学的です。

古事記や日本書紀には、元になる本があります。(現物は残っていません)

記紀が編纂されたころ、たくさんの元になる異本がありました。

これは、宮家や豪族などが、自分の先祖を皇室の先祖であったと加筆、改ざんしたものがたくさんあったからです。

そこで、正しい本を作ろうという事になり記紀が編纂されたのです。

ところが、あまりに多数の異本があったり、編纂に参加した方の意見も異なり、詳細に書かれている部分とざっくり書かれている部分があるわけです。

事実かどうか分からないことも中に入ったということです。

江戸時代、明治時代にも、記紀の内容が事実かどうかを確認した本は多数ありました。

それらの本は、書かれていることが事実であるという前提で、意訳をしていくアプローチでした。

この本は、書かれていることを正と置き、それが事実であるかどうかを検証するというアプローチでした。

当然、過去のお歴々、生きている先輩方の意見をぶった切ることになります。

この本のアプローチは科学的だと書きました。

それは、記紀同士での確認に加えて、中国や韓国に残っている歴史書に書かれている内容により時代考証しているのです。

日本はかつて新羅や百済に攻めたことがあります。

その歴史が中国や韓国の歴史書に残っているわけです。

あるいは、中国に日本の王朝が朝貢したり、交流した記録も残っています。

当然ながら、お歴々や先輩方の確認する本も使います。

それらにより冷静に検証を行います。

結果、過去の天皇の存在すら、おかしいと断言するのです。

あるいは、天皇家が中心になった闘いすら、後付けだというのです。

これでは、特定の思想の方々から目の敵になるのは分かります。

津田さんの本を読んでいて、白川静さんを思い出しました。

漢字を研究した白川静さんは、個人で甲骨文字を研究され、様々な画期的な発見をされました。

しかし、日本でも大学を出ていなかったことがあり、認めてもらえませんでした。

中国でも当初は、まったく相手にされませんでした。

しかし、最終的には、中国の一部の研究者は、白川さんの研究を認めました。

人とつるまず、自分の考えを持ち、それを発言する強さが必要であることを再確認しました。

中東宮司は、枚岡神社で毎月1日10時から講話をされているそうです。

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