「対話」について考えてみた。
最近、「対話」がもの凄く大事だと思うことが増えた。
その理由を整理したので、共有したい。
「議論」と「対話」
まず、「対話」を「議論」との対比で整理する。
夫々を簡単に定義すると次の通りである。
議論:結論を出すために行うこと
対話:互いの理解を深めるために行うこと
どちらが優れているというわけではなく、両方必要であり、場面により使い分けることが重要である。
しかしながら、仕事の場面では「議論」が優先されがちだ。
なぜ「議論」が優先されるか?
仕事においては、多くのビジネスパーソンが沢山のタスクを抱えており、様々なタスクを効率よく処理していかなければならない。
1つ1つの仕事に時間を掛けることができず、「組織として正しいこと」を素早く決めていく必要がある。そうすると、自ずと互いの理解を深めるよりも結論を急ぐことになる。
よって、「議論」が優先されがちになるのだが、仕事において「対話」は「議論」と同じくらい必要である。
「対話」が必要な理由は何か?
私が思う理由は2つある。
1つ目は「関係の質」を高めるからである。
「組織の成功循環モデル」というものがある。
cf:https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1209/26/news001.html
簡単に説明すると、
「結果の質」から求めると互いに押し付け合い、人間関係が悪くなり、さらに結果が悪くなる。「関係の質」から求めると、互いに尊重し合い、成果が出て、さらに関係性が良くなる。これは「循環モデル」なので、循環し続ける。悪い循環は更に状況を悪くするし、良い循環は更に状況を良くする。
となると、「関係の質」を高めることが大事であり、互いを尊重し理解し合うために、「対話」が非常に重要な手段となる。
2つ目の理由は、思いが共有され、更なる革新に繋がるからである。
「SECIモデル」というものがある。
cf:http://keiei-manabu.com/strategy/tacit-formal-knowledge.html
簡単に説明すると、
誰もが持つ「暗黙知」を他者と共有する中で、言語化することができる。言語化された「形式知」を更に共有することにより「形式知」が結合し、革新に繋がる。それぞれが行動する中で再び「暗黙知」に戻るのだが、その「暗黙知」を再び共有することで、「形式知」となり循環していく。
この「暗黙知」や「形式知」を共有するプロセスがまさに「対話」であり、SECIモデルも「対話」の重要性を教えてくれる。
結局、「対話」があった方が仕事が楽しい
ここまで、「対話」について色々と書いたが、言いたいことは、「対話」があった方が仕事が楽しくなるということだ。
決めることは大事だけど、結論ばかりを求めても、つまらない。
「対話」は仕事に余白を生み出すことができ、その余白に「個人の思い」を埋め込むことができる。仕事をするなら楽しいほうがいいし、「個人の思い」が入った仕事の方がやる気も出るはずだ。
だから、「議論」に固執するのでなく、上手く「対話」も混ぜ込みながら仕事進めていく。
リモートで、ギスギスしがちな今だからこそ、「対話」の持つポテンシャルに大きな可能性を感じるのである。