【一首評】短歌同人誌「西瓜」第8号(前半)
年に4回という驚異的な頻度で発行されている同人誌「西瓜」。
同人の皆さんの短歌はもちろん、エッセイや小説など、
様々なジャンルに挑戦されていて、毎号新鮮な驚きがある。
「ともに」という読者投稿欄もあって、とても賑わっているし
なにより、前号評ではなく当月評を掲載しているのがすごいと思う。
きっと書いている皆さんは大変だと思うのだけど、読者としてはタイムラグなく評まで読めるのは嬉しい。
今回は「西瓜」第8号から各同人の皆さんの連作一首評の前半部分を。
逝くことのわかりてをれば初恋の顎のくらく尖りてゆくを
楠誓英「永遠の昨日」
少年と少年の恋。恐ろしくも美しく、暗く広がってゆくような一連だ。
その中の一首。「逝く」とは誰(何)がだろう。
いつか誰しも死を迎えることとも読めるし、初恋は成就されずに終わるもの、とも読める。
一連の途中できみが亡くなったような描写があるのだが、それすら「喩」なのかもしれないと思ったので、
単純に「きみが」と捉えてよいのか難しい。
顎は、初恋の相手の顎ととった。少年の尖った、精悍な顎。それがますます暗く尖ってゆく。
そこに深入りしてはいけないような、暗さだ。でも留めることなどできない。それが「初恋の顎」なのだ。
恋人になってしまえば結末に向かうすごろく、六ばかり出る
鈴木晴香「命まで取ってください」
好きな人と恋人になれたら嬉しい。
でもこの主体は「恋人になってしまえば」と歌いだす。不穏である。
付き合い始めてしまえば、後は結末に向かうだけ。
しかもその「恋人との道のりすごろく」は六ばかり出るのである。どんどん進んでしまう。
それが予定調和でつまらない、と言っているように捉えた。
結末、と言ってもいろいろあると思うし、その過程に楽しみがあるとも思うのだけど
主体はきっと恋人になるまでのスリリングな駆け引きに気持ちが高まるのだろう。
名前のみ知りたる映画監督のJの重なる異国の響き
門脇篤史「泡と灰皿」
「異国の響き」、なんだかわかるなぁと思う。
きっと英語ではなく、どこの国の言葉かもわからないけれど、異国独特の響きを感じるのだろう。
Jが重なるというのは、名前に「ジャ」とか「ジュ」とかJの発音が多いのだと思う。
(・・・頭に浮かんだのは映画監督ではなく、ジャン・バルジャンなのだけど、この歌から感じるのはもっと静かな雰囲気の名前・・・)
そしてこの一首、主体はこの名前を声に出しているのか、それとも誰かが発音しているのを聞いているのか。
名前しか知らないので、逆にその人物に対して空想が広がる。
きっと、いつか顔を知ったとき、空想とは全然違うことを愉快に思うだろう。
むらさきの産毛を風に靡かせて着衣のままの林檎少女
曾根毅「肉体」
「雄叫び」「糸を吐く」「よこしま」などの言葉で、全体、怪しさに溢れた一連。
この一首も「むらさきの産毛」と、皮膚をアップで見ているような不気味さがある。
細い産毛が陽に透けてむらさきに見えるのだろうか。
少女を「見ている人物」がおらず、ただ少女の有り様を詠っているようにも読めるのだが、
どうも、視線を感じてしまうのである。
「着衣のまま」というのも、そう言われると着衣じゃない場合も思い起こさせられるわけで、いよいよ怪しくなる。
結句、「林檎少女」。りんご、で一泊置く感じの読み方で七音。
赤い林檎、みずみずしい林檎。甘酸っぱい林檎。
少女の形容として、もちろん合っていると言えるのだが、この歌の結句に置かれると、それだけではない意味を含んでいるような気がする。
やはり、全体、怪しい。
初雪が窓の外では降っている優しいだけの帽子のように
笹川諒「年末年始(二〇二二~二〇二三)」
帽子は無論、かぶるものである。
暑さや寒さから身を守るために。お洒落のために。
そこに優しさは求められていない。
だから「優しいだけの帽子のように」という柔らかい言葉の直喩は、かなりねじれた物言いに聞こえる。
その帽子は優しくて、主体は、帽子なるもの優しいだけでは駄目だと思っている、とでも言うような。
そしてそれは初雪の降り方の比喩なのであった。
初雪「が」窓の外「では」の繋がりも、読み直すと奇妙だ。
平易で柔らかい言葉だけで成り立っている、けれど何だかねじれた一首。
そして描いている情景はとても美しい。
鬼になれと先輩の言うその鬼は赤鬼ですか青鬼ですか
三田三郎「キャッチコピー」
どういう状況であれ、「鬼になれ」という先輩はなかなかだな、とまず思った。
・・・職場じゃなくて、運動部の先輩とかであれば、あるかも。だけど何だか職場っぽい気がしてしまう。
そしてもちろん「鬼になれ」と人が言うとき、鬼の色はどうでもよい。形状もどうでもよい。心の問題である。
だがしかしこの後輩は、赤鬼か青鬼かを問う。本当に口に出して訊いている気配すら感じる。後輩もなかなかである。
赤だったら(もしくは青だったら)どうなるのだ。鬼のタイプが変わってくるのか。
その答えを後輩は明確に持っているような気がして、それが怖い。
創業家みな死に絶えてしろたえのスーパーの永遠の閉店
嶋田さくらこ「氷雨」
スーパーはすでに閉店して久しいのだと思う。
長く閉まっているスーパー。そのスーパーは創業家の一族が代々営んできた。
その創業家の一族がみな亡くなって、スーパーは今度こそ永遠に閉店となった、と主体は感じている。
スーパーという軽い語感と、「永遠の閉店」という少しファンタジックですらある言葉の取り合わせが効いていると思った。
三句目の「しろたえの」も、実際のスーパーが白い、というより、「永遠の閉店」のさまを表した言葉のように感じる。
主体にとってそれは「ぬばたま」ではなく「しろたえ」なのだ。
「死に絶えて」というショッキングな言葉が入っているのに、何だかおとぎ話のように感じる一首である。
※後半に続く