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【書評】『鳥の跡、洞の音』牛隆佑歌集

バリエーションの多彩さ。ユーモア。そして死生観。
一見不思議な歌もあるが、いろいろ考えさせられて、深みにはまっていく感じの歌集である。
どちらかと言うと、くっきりとした作者像は見えない歌集だが、父親の歌、結婚の歌など主体の暮らしが窺えるような歌もある。

ナンおかわり自由の店でおかわりをしない自由を行使している

恐竜やゴリラのように強い順に死に絶えてゆくから気をつけて

階段はすごいよ こんなところでも街の向こうの海が見えるよ


一首目は人を食ったような言い回しがユニークな歌で、ぱっと読んだ時は面白さにばかり目が行くが、
何度も読むと、いろいろな考えが湧いてくる。
例えばおかわり自由と言われたらおかわりをしないと損、のような気持ちになるし、
私も思いっきりそちら側の人間だが、この主体はそういった物事に流されない、という意思表明にも読める。
また、自由を行使できない人が世界に大勢いることを想起させる社会詠とも読める。
主体は自由を行使できる立場にいるが、その行使する自由が「おかわりできるナンをおかわりしない」というちっぽけな自由である分、
メリハリの利いた歌になっている。
ユニークだが、それだけではない、読者を立ち止まらせ考えさせる歌だ。

二首目は、結局どこが本当のことなのか。
本当に恐竜やゴリラは強い順に死に絶えるのか?
恐竜はともかくゴリラは死に絶えていないので、こう言い切るのはおかしいのだが、あえてゴリラと言っているのも奇妙である。
そして「そうならないように気をつけて」と注意喚起しているが、これは誰が誰に言っているのか、
主体はどの立ち位置から発言しているのか、すべてにおいて謎めいている。
しかし暗に人間社会や、権力を握っている人、強い人を風刺しているようにも読める。
あまり深読みしない方が歌の魅力が生きるような気もするけれど、深読みしてしまう、そんな歌だ。

三首目はもう出だしから変である。いい意味での変である。
階段はすごいよ、と詠いだす。でも普通こんなところでも海が見える、というのは別に階段という建造物がすごいわけではもちろんない。
高い場所にあるとか、ちょうどそこだけ障害物がないとか、別の要素がすごいのだが、
それを強引に階段はすごいという、そこがとても面白い。
この歌集の読みどころとして、まずはこういった歌に目が留まった。

どちらがよりかなしくないかで生きてきて指があなたの背中に触れる

寝不足の時代できっとぼんやりとしたままたぶん戦争に征く

面白さよりも静かに問いかけられるような、すごく大きな視点に立って物事を考えているような歌も魅力的だ。
一首目の上句はどきっとするが、確かに人と自分を比較する時に、「どちらがより悲しくないか」「あの人よりは不幸じゃない」とか、
認めたくはないが、そういう比べ方をしてしまう時がある。
そのことを強い口調にならないように言っているような歌と取った。
とは言え下句には救いがあると思う。指があなたの背中に触れたことで、その相手の温かさを感じて、
これまでの上句のように思ってきた思考回路から一歩外へ出たような、新しい場所へ行くような歌に感じた。
二首目は最初に歌集を読んだ時から怖いな、と思って惹かれた歌だ。
自分の主体性がなく、嫌とも言わず、また自ら志願してというわけでもなく、
召集されればぼんやりしたまま戦争に行ってしまうんだろうな、と考えている。
想像力の欠如。いや、でも実際にそれは世界中で起こっていることだろう。
自分のことを言っているというより、人類全体に対する風刺のような歌と取った。

火は灯る 紅茶を啜る人のためやがて生まれる文明のため

岸辺というかなしい名前の駅があり電車は魚のように行き交う

最後に好きな歌を二首挙げたい。
一首目はⅡ章の最初の歌。初句「火は灯る」で一字あけがあって、その後は、なんのために火が灯るのか列挙されている。
紅茶を啜る人のために灯る、というのはとても小さな、でも穏やかな時間のために灯っている火。
そしていきなりスケールが大きくなって、やがて生まれる文明のため、となるのだ。
この壮大なスケール感のある歌、というのもこの歌集に多く出てきて、一冊を特徴づけるものともなっていると思う。

実は5章各章の冒頭の歌には仕掛けがあって、歌が同じ構造をしている。
初句が「雨は降る」「火は灯る」・・・「人は死ぬ」・・・+一字あけになっているのだ。
雨や火などの自然物と並んで「人は死ぬ」が混じっているのも、もちろん意図的だろうから、作者の強い主張を感じる。
この冒頭の歌の秘密に気づいたときは、うおお、と嬉しくなってしまった。

二首目、岸辺駅は実際にJR京都線にあるが、こんなふうに捉えたことはなかった。
岸辺が悲しい、という作者の感じ方や、下句の景の美しさが心に残る。
電車が行き交うのは騒々しいはずだが、これを読むと無音の空間のようで、まるで異世界に入ってしまったようだ。

他にも、何行かに分けて書いてある歌など、レトリック的にも紹介したい歌がたくさんある歌集である。
                       (2023/9 私家版)

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