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【書評】『命の部首』久永草太歌集

我が胸に小さき太鼓の鳴る機序を心電図というページで習う

つむじ風ほどけたらもう春ですね はじめて白衣を羽織るひらめき

注射針刺せば跳ぶウシ沈むウシみんなおしりに痛覚を持つ

この歌集の特色は幾つもあるけれど、まずは職業詠(研究詠)を挙げたいと思う。獣医学、獣医師という専門領域、職業を学ぶものでしか作り得ない歌が並び、それが読者の好奇心を刺激する。
そしてそれは、獣医師の仕事と接点がないので珍しいというだけではない。この歌集全体を貫く「命について想像を巡らせること」の屋台骨として、獣医を職業にしようとしている主体から見た世界という図式は、とても理にかなっている。

一、二首目は獣医学を学び始めてまだ初期の頃だろう。心臓の鼓動を「胸に小さい太鼓が鳴る」と捉えた。それを教科書の「心電図」の項目で習ったというところに医療現場としてのリアリティーを感じる。「機序」という言葉も効いている。
また、「つむじ風がほどける」という把握は美しく、授業ではじめて白衣を羽織る高揚感が感じられる。
三首目はとても好きな歌で、牛のお尻にワクチンを打つ様がユーモラスに詠われている。栞でも多く触れられているとおり、ユーモアもまた作者の大いなる特徴である。

舌筋の走行について考察す焼肉屋にてタン焼きながら

治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭

採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず

ラーメンの味は何派か話しつつ解剖進む塩と答える

歌壇賞受賞作「彼岸へ」から。一首目や四首目は日常的に解剖を行っている、主体を含む獣医学部の学生たちの日常が、タンやラーメンといった食べ物とセットで詠われている。
これを、「解剖に慣れた者の軽口」と捉えることもできるかもしれないが、その底にもっと重く複雑な気持ちが横たわっていると私は読みたい。
獣医師という仕事に対する矜持。タンを美味しく食べることと、獣医師として牛の治療をすることにどこか存在する矛盾。いや、おかしなことなど何もないはずなのだが。
そうした複雑な思いの暗い部分が出ているのが、例えば二、三首目であろう。北と南に繋がれている牛たちの、境界線はどこにあったのか。
同じように病気のある生き物でも、鶏は治療しないなんて。理屈ではわかっていても、心がついていかない部分があって、それが歌に掬い上げられる。

そりゃそうさ口が命の部首だから食べてゆく他ないんだ今日も

歌集タイトルとなったこの歌がこの複雑な気持ちを端的に表現している。歌集の大テーマを集約したような、さらりとして、でも強く読者に問いかけるような歌だ。
ちなみに私は上記の歌(特にラーメンの歌)を読んで、ドラマ「アンナチュラル」を思い出した。法医解剖医の彼等も、軽口を叩いて食いしん坊だった。
もちろん業種も違えば、あちらは架空のストーリーではあるが、彼等も「命」にとても近しい仕事を生業とし、誇りを持ち、凄味のある明るさで仕事をこなしていた。

老い先がないからちょうどいいと言い祖母が乗りくる我が試運転

そこにもう火のにおいなく病室にふいごがひとつ動きを止める

太き太き倒木朽ちてゆくさまに祖父の昼寝を重ねてしまう

満月をわけあうようにわたしたちそれは大きな文旦食べる

差し色の多い季節と思うこの秋冬のあいに柿吊るしゆく

作者の生まれ育った宮崎の風土や、そこに住む家族を詠った歌も印象に残る。特に祖母が亡くなるまでのことを詠った一連は、作者のユーモアが際立つ分、悲しさも強く伝わってくる。
静かな病室に響く祖母の息。それが途絶えた様を止まった鞴に喩えたり、倒木と祖父の昼寝を重ねたりするところに悲しい抒情がある。文旦や柿のモチーフも、地域性を感じさせてくれる。

「ここは海」そしてたちまち海となるもも組さんの部屋の全域

二輪車の群れを制する仙人のごとし車道を渡る学生

「旅先で買った」と言えばもう過去の助動詞た、た、たと駆けるサンダル

マシュマロを焼いたら燃えたそれだけが光源だった夜ありしこと

正月を待たずこれからやっこだこ揚げる禁忌をあなたと犯す

毒草の問題が出てほしいなあアセビ、ユズリハ、キツネノボタン

「源泉」はかつて豊かな言葉たりきこんなに引かれるのか保険料

先ほども触れたように、ほどよいユーモアをスパイスにした歌がとても上手い作者だが、同時にバリエーションの豊かさにも舌を巻く。
一首目は「あとがき」にもある、幼稚園のお手伝いのバイト。子供たちの想像力の凄さ、純真さが、部屋の全域を海に変貌させる瞬間を捉えた。
二、三首目はベトナムへの旅から。交通量の多い車道を慣れた調子で渡る学生を目の当たりにすると、それはもう仙人のようだったのだ。
サンダルの歌は「助動詞た、た、たと」の四句目のリズムが鮮やかで耳に残る。それが過去の助動詞と言われることで、途端にせつない気持ちになってしまう。

四首目は、外国ですなるマシュマロ焼きやろうぜ、とやったら燃えてしまった歌。でもそれが光源だったと述べられることで、友人たちとの馬鹿笑いや会話が読者に自然と想像される。
五首目、「あなた」は淡い恋愛対象として読んだが、十二月中に一緒に「やっこだこ」を揚げる間柄はどのような関係なのか。もちろん年内にやっこだこを揚げようが、「あなた」と揚げようが、禁忌ではないけれど、どちらもちょっと悪いこと感があるような。

六首目は獣医師国家試験を受けながら、「毒草の問題出ないかなぁ」と期待を寄せているところ。毒草希望というところに、こちらもちょっと危ないなぁという意識が働く。下句、毒草の名がどれも美しいところに意外性もある。
七首目、今ちょうど年末調整の時期なので、源泉徴収票関係を身近に感じるが、上句みたいな発想を持ったことがなかった。そこから急転直下の呟きが可笑しい。いや、ほんとにこの下句を叫びたいぐらい引かれちゃいますよねぇ。

私は作者の連作では、先にリアルタイムで「彼岸へ」→「たこたこ」→「獣医師国家試験」→「差し色の季節」と読んでいた。
歌集にまとめるにあたって歌の入替えなどはあると思うが、ともかく作者の歌を目にする度に、新しい球種を見せられる思いがした。歌集では他にも、例えば宇宙への空想旅行詠までもが含まれている。

きっと今日も彼はハードな仕事をこなしながら、新しい球種に挑戦していることだろう。今後も華麗なピッチングで私たち読者を楽しませてほしい。
                      (2024/9 本阿弥書店)

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