【一首評】短歌同人誌「西瓜」第8号(後半)
短歌同人誌「西瓜」第8号、一首評の後半です。
はじめての世界に降るよう金色の火事を起こして橋に散る葉が
とみいえひろこ「瞬く川、感情」
とても静かで、輝いていて、スローモーションのように黄色の葉が散る様を思い浮かべた。
何度も繰り返されている光景なのに、あまりに鮮やかで、まるで「はじめての世界に降るよう」に思われたのだろうか。
初めて世界に、ではなく「はじめての世界」であるところがポイントだと感じた。
世界自体が生まれたてで真っさらであるかのようだ。
そして橋に散る葉は、まるで「金色の火事を起こして」いるようだと詠む。
火事、とは穏やかではないのだが、本当に燃え盛るような光景なのだろう。
それを言い表すのには「火事」しかなかった。凄味があって美しい歌。
テキサスの大野が電話をかけてきて曲を作れと俺を鼓舞した
染野太朗「雨に唄えば」
「テキサスの大野」の破壊力が強すぎて、一瞬他がかすんでしまった。
なぜ大野はテキサスにいるのか。大野は何をしているのか。
その大野がテキサスからわざわざ「俺を鼓舞」するために電話をかけてきたという。
只事ではない。
昨今タダでも通話はできるが、時差も手間も乗り越えて、メールではなく電話している。
大野が直接口頭で主体を鼓舞するべきだと判断したのだ。
鼓舞の内容は「曲を作れ」である。
主体はミュージシャンなのか。スランプに陥っているミュージシャンなのだろうか。
これが「歌(短歌)を作れ」だったら読み手は安心するかもしれないけれど、この一首は色あせてしまうだろう。
ここはあくまで「テキサスの大野」が「曲を作れ」と電話してくるしかないのだった。
破綻した町工場からあふれ来る無音にしばし歩みを止める
虫武一俊「黒豆」
暗い気持ちを抱えて労働している主体を感じさせる連作の中の一首。
裏さびれた光景。昔は活気があっただろう町工場は潰れ、中からもう物音はしない。
その「無音」が傍を歩いている主体へ「あふれ来る」ように感じるという。
無音は、あまりに無音だと、それが膨張してくるように感じることがある。
そういう感覚だととった。
無音はまた、無色でもあるはずだけれど、この歌からはなぜか黒い水の流れのようなものを読み取ってしまう。なぜだろう。
それでも主体は「しばし」立ち止まるだけで、また歩き去ってしまう。
ずっとそこにとどまり続けるわけにはいかない。
こちらまで、その無音に絡めとられてしまうから。
とほくとほく人を恋ふことありけむと漢詩のなかに俯くひとは
野田かおり「文字と雨」
下句の詩情がとても好きな一首。
「漢詩の中に俯く」とは一体どんな感じだろう。
漢詩の内容に出てくる、というよりは、その文字の羅列の中に人が俯いているように見える、感じる、という意味かと思う。
「けむ」は過去の推量の助動詞。人を恋うたこともあっただろう、と誰かの気持ちを推し量っている。
人を恋うていた誰かと結句の「ひと」が同一人物なのかは、上句と下句を「と」がつないでいるから少し迷うところだ。
「ひと」が誰かに思いを馳せている、ととる方が正確だろうか・・・
決めきれないのだけど、「とほくとほく」から始まる平仮名の柔らかさもぴったりで、立ち姿の美しい歌だと思った。
春が来るまえに忘れてしまえるかずたずたの馬を胸に走らす
江戸雪「届かせない」
傷つき、怒っている。やり場のない感情が渦巻いているような一連の冒頭の歌。
忘れたい出来事があったけれど、そう易々と忘れることなどできない。
その感情を「ずたずたの馬を胸に走らす」と表現している。
ぼろぼろでもよれよれでもなく「ずたずた」のインパクトは大きい。
「ずたずた」は何かを引き裂くような時に使う言葉だろう。
馬が引き裂かれている。それは結局自分自身が内部から引き裂かれていることと同じだ。
引き裂かれた馬は到底、元に戻ることはない。
遠くへいったり薄れたりすることはあっても、消え去ることはない。
主体はほんとうに、その出来事を完全に忘れたいと思っているのだろうか。
傘がないならばしずくとゆくだけだ 21時半ごろ 退勤
安田茜「色を食べる」
上句はカッコいい決意表明にも読めるし、諦めの気持ちにも読める。
実景としては、雨に濡れて帰るしかないことを言っているのだと思うが
「しずくとゆく」という表現が鮮やかだ。
そしてまた、上句は自分の生き方の比喩のようにも見える。
そう思うと、諦めというイメージは薄くなって、もっとこう、「傘がなくてもどうとでもする」というような、しなやかな主体が立ち上がってくる。
下句は一字あけを挟んで、単語がぽんぽんと二つ置かれている。
雨のなか夜遅くに会社を出る主体。単語だけなので、どこか無機質な、心ここにあらず、みたいな感じを受ける。
上句の「だけだ」という言い切りから一転、少し疲れているような、そんなギャップを感じさせる。
読み返すたびに色を変えるようで、立ち止まってしまう一首だった。
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