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【読書ノススメ】 安藤礼二 『折口信夫』

※第一稿 2021/04/18

 noteで色々記事を投稿しようと思ってはいるのだが、怠け癖が災いしてなかなかモチベーションが保てないので、とりあえず最近読んだ本について紹介することにしたい。


■はじめに■

 今回取り上げるのは、批評家で多摩美術大学教授である安藤礼二氏の『折口信夫』(講談社、2014年)。本書は『群像』等の雑誌に掲載されていた論考をまとめて書籍として出版したものなのだが、なんといってもその重厚さが目を引く。全500ページにも及ぶ大著なのである。

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並の文庫本の圧倒する存在感のデカさ



■安藤礼二氏に触れたきっかけ■

 私が安藤氏のことを知ったのは、昨年『現代思想 神道を考える』(青土社、2017年2月)に掲載されている安藤礼二×鎌田東二「隠された神々の世界を求めてー折口信夫と出口王仁三郎からー」を読んでいたときだ。清浄性にその特徴があるように考えられている日本の神道の裏側には古代からずっと「荒ぶる神」が隠れていた、という指摘に心を動かされた。

 実はその時は「こんな面白いことを言う人もいるもんだな〜」と思って心に留めておいただけでスルーしてしまっていたのだが、しばらくしてから岡本太郎関連の情報をネットで調べていたときに再び安藤氏に辿り着いた。それが岡本太郎記念館館長である平野暁臣氏との対談記事安藤礼二対談①『祝祭の理論家であり祝祭の実践者』である。これが安藤氏の著作を読み始めるキッカケとなった。

■『折口信夫』■

 さて、本題の『折口信夫』について触れることにしよう。

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 本書はただの伝記や学者論ではない。客観的・実証的に折口信夫の思想を説明するのではなく、あくまで安藤氏本人の思想に引き付けながら折口思想が語られていくのだ。このことが如実に示されているのは、以下に引用しているような安藤氏のスタンスである。 

解釈学の実践としての批評。解釈は飛躍がなければ可能にはならない。しかし、その飛躍は、対象となる資料を厳密に読み込んだ上で為されなければならない(5頁)。

解釈学の実践としての批評」として折口信夫を論じること、この姿勢に安藤氏が安藤氏たる所以がある。まるでシャーマンのように(と言ったら言い過ぎかもしれないが)、折口の思想を自身の思想と重ね合わせて論を進めていくのである。

 安藤氏にとって折口信夫とはどのような人物なのか。氏は次のように述べる。

私の結論は、こうなる。表現が発生してくる場所を、ただひたすら、自身の学問として、あるいは自身の表現として、探究していった人物である、と(518頁)。

折口は表現における始原の探究者・実践者なのだ。さらに、このように続ける。

折口が見出した表現発生の場で、人々は原初の時間と空間、すなわち「古代」を生き直す。もしくは、原初の時間と空間、「古代」を反復する(518頁)。

人々は「反復」によって「古代」を生き直す。ここで述べられている「反復」とは、まさに安藤氏が『折口信夫』という著作を通して実践する解釈学にも相当するだろう。本書の中で、折口信夫が現代において生き直されているのだ。

 本書における他の特徴としては、折口個人にとどまらず出口王仁三郎や井筒俊彦をはじめとした大人物の思想を折口の思想とダイレクトに結びつけて論を展開しているところが興味深い。安藤氏の著述方法には並みの伝記本には見られない深みがあるように思われる。

過去のテクストを生きたものとして現在に蘇らせようとする安藤氏の「解釈学」は、私が興味を持っている「中世神話」に通ずるところがあるのでかなり注目している。また本書には明示されていないが、氏の折口信夫論は岡本太郎網野善彦中沢新一氏などの世界観に深く通じるところがあるように感じる。あとは東洋に対する西洋の学者としてなら、永遠回帰」や「祖型反復」を提唱したミルチャ・エリアーデ も挙げておくべきか。彼らの著作とも照らし合わせながら安藤氏の著作を読み進めていくことができればと考えている。

■安藤礼二氏の著作■

 安藤氏は大学卒業後河出書房にて編集者の仕事に携わっており、2002年に著した「神々の闘争ー折口信夫論」を機に批評家としての活動をはじめ、数々の著作を執筆しているという。私が現時点で読んでいる書籍は本書(『折口信夫』)と『列島祝祭論』(作品社、2019年)である。後者の本もなかなか面白かった。最近だと2020年末に出版された『熊楠 生命と霊性』(河出書房)が有名なのではないだろうか。氏が扱っている分野は多岐に渡るので、興味のあるトピックを含む本があれば皆さんもぜひ手にとっていただきたい。


【追記】4月18日は「椎葉村の日」。ヒントは『後狩詞記』






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