「車輪の下」にならないように|エッセイ
私の在籍していた中高一貫校は、いわゆる「進学校」に分類されている。在校生の多くが一流大学の合格を目指すべく、日夜勉強に勤しんでいる環境だった。
特に高校二年生の夏以降は、多くの生徒が部活を引退して勉強に専念する。受験当日までの限られた時間を、一瞬たりとも無駄にすることはできない。そんな緊張感が学年全体を支配し、読書、ゲーム、友人との外出など、「受験」に関係のないものはどんどん捨て去られていった。
学年が上がるにつれ、先生方が生徒にかけるプレッシャーも強くなっていく。進路指導担当の多くは若手教師で、「偏差値の高い大学に入学さえすれば、人生が変わる」と発言し、より高い偏差値の大学を受験するよう、促していた。進路面談では、本人の志望分野に関わらず、偏差値のより高い学部への出願を進められることも常態化していた。
さらに、進学校に通う生徒の多くが、放課後は予備校に通うという、ダブルスクールを経験していた。学校よりもさらに予備校の方が、受験に向けた必死の発破がけをする傾向にあったが、進学実績を出したいのは、どちらも一緒である。
学生時代の人間関係というのは、非常に限定的なものである。日中は学校で、夜は予備校で「偏差値の高い大学に入ることが善」と言われ続けると、自然と生徒たちはその方向へと足を進める。それも、できるだけ早く。他の者に追い抜かれてはならない。周りの者は全員、自分の未来を脅かすライバルである。
そんな一種の異常心理に陥る環境内だと、一般的な感覚が麻痺してくることがある。進学校の多くでは、高校三年生になると自殺者が出る、とまことしやかに囁かれていた。むしろ、「自殺者が出るくらい追い込まれて、はじめて一流進学校の証である」ぐらいの勢いがあったと記憶している。私の通う学校にも、ご多分に漏れずその時はやってきた。
高校2年生の秋。朝、登校すると、突然ホームルーム中に、次のような校内放送が流れた。
「高校三年生の女子生徒一名が亡くなった。全校生徒で黙とうするように」
とうとう来たか、と思った。幸いにして自分は高校二年生だったが、もしも高校三年生だったら、自殺をしたのは自分のクラスメイトだったかもしれない。あるいは、自分自身が追い詰められて死を選ぶ可能性だってある。そう考えると、全身の震えが止まらなかった。
黙とうをしていると、急に隣の席に座っていた親友が泣き崩れた。亡くなったのは彼女のよく知っている先輩だったようだ。すでに事情を知っていたのだろう。
親友の懇意にしている先輩の死。それだけでも、この出来事が、嵐の前の不気味な波音のように、すぐ近くに押し寄せて来るのを感じた。逃れることのできないプレッシャーに押し潰されそうになり、親友と肩を寄せ合って泣いた。
学校側は「自殺」という言葉を発表しなかった。それでも保護者側からは、「娘は死への誘惑に抗えなかった」との言葉があり、明らかに自死であることが見てとれた。
もちろん、学校だけにすべての責任があるとは言えない。塾の成績に問題があったのかもしれない。真相は闇の中だが、「受験」という大波に飲み込まれ、押し潰された一人の犠牲者が存在したのは、紛れもない事実だった。
さらに驚くべきことに、「この件は外部に口外しないように」という趣旨のアナウンスがあった。自殺者が出た学校となると、志願者が減ることを恐れたのだろうか。わが校だけでなく、実際に御三家といわれる最難関の男子校でも、たとえ自殺者が出たとしても外部に漏れないように緘口令を敷くところもあるという。
一人の人間の死を、深追いせずに水に流す。むしろ、その動機や証拠は、波が消し去ってくれればいい。大人たちにはそれぐらいの危機感があっただろう。
「死」を隠蔽するほどに、世間の評判というのは大切なのだろうか。
生命の危機を感じながら目指すべき、「偏差値の高い進学先」とは一体何なのだろう。
人の命を脅かしてでも、「偏差値の高い学校に入ることが人生の勝利である」と言える根拠は、誰にもないはずなのに。
私たちは、「何者か」になることを常に恐れていた。
受験に失敗するということは、「人生の敗者である」という烙印を押されるように感じていたのである。実際、偏差値が少しでも上下するたびに、クラス内での人間関係が微妙に変わっていく。成績が良い者は「神」の如く扱われ、落ちこぼれは「縁起の悪い存在」のように煙たがられた。
そんな狭いコミュニティの中、周りにとって「接触可能」な圏内に入ろうと必死にもがいている自分がいた。
幸いにして、ベテランの国語教師であるM先生からは、授業中に次のような言葉が投げかけられた。
「ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』はよく読んでおくといいですよ。受験戦争に押し潰されて、車輪の下敷きになってはいけない。ここだけの話、最難関大学に行った人が、必ずしもその後の人生で幸せになっているわけではないんです。大学合格というのは、社会への入場切符を手にしたにすぎない。私たちは入場切符を買う手伝いはできるが、その後の行先は、皆さん次第なんです」
その言葉を聞いた瞬間、全身に貼りつめていた緊張の糸がふっと弛んでいくのを感じた。何よりも、私たちが聞きたかった言葉を言ってくれたと感じた。熟練の教育者は、若手の進路指導教師とは一線を画すほどの人生の知恵を持っているものである。
その日から私は、受験科目には直接関わりのない、読書記録ノートの提出にも力を入れるようになった。夏目漱石の「こころ」や、最新の芥川賞受賞作まで、読了した感想を書き、M先生がコメントを入れる。
意外にもこの時間の流れが、私の受験のストレスを緩和させてくれているという実感があった。本のあらすじを要約し、意見を述べる作業は、小論文が必要な学部への受験対策にも効果的だった。
逆説的ではあるが、過酷な受験戦争に負けない秘訣は、自らの内的空間を広げ、守ることにあった。
幸いにして、私は第一志望の国立大学に合格した。しかし、友人のなかには、浪人が確定した瞬間、現役合格組との連絡を絶ってしまった人もいた。大学入学までで燃え尽きてしまい、行方が分からなくなってしまった人もいる。一流企業に就職した後も、人間関係上の問題を起こして職を失ったという知人の話も聞いた。
社会人になって十年以上が経ち、母となった今、M先生の言葉が身に染みる。自分の子どもが受験を迎える時期がやってきたら、彼らの心に寄り添いながら伝えたい。
「合格」や「内定」は社会に出るための「入場切符」に過ぎないこと。
「入場切符」を目的としすぎて、乗車後の景色を楽しもうとしない人がいること。
「途中下車」になる場合があること。
「途中下車」した先にも、美しい景色が広がっている可能性があること。
これらのことを理解した上で、後悔のないように今を全力で生き抜いてほしいこと。
大海の激しい波に飲み込まれそうになりながら、飛べない鳥の如く、必死に水を掻き、水上の空気を辛うじて吸って生き抜いてきた。子どもたちにも「車輪の下」にはなってほしくない。豊かな個性をより自由に開花できる社会へと羽ばたいてほしいと切に願っている。
【完】
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