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死にたいが、手術で生かされたということ

【双極性障害・胃がんの手術・人への感謝・そこから生まれる罪悪感について】おおまかにこんな感じです。


双極性障害を患っているので、しょっちゅう死にたくなる。うつ状態からくるものだ。
死にたさの度合いはさまざまで、あー、また今日も掃除できなかった、ゴミ出しもハロワもいけてない。生きるのめんどくさいな、死にてー。くらいの軽いものもある。
一方で、(自分は本当に価値がなくて、生きるのに値しない人間だ。この先親が死んでわたし一人になったら生活していけるわけがない。だったら今死んでもいい。階段の踊り場の壁にあるライトの金具にロープをかけて、吊ろうかな。首。)と思うくらい、濃く死にたいときもある。

今のメンタルクリニックの先生とは幸い良好な関係を築けているので、希死念慮の相談もちゃんとできるようになった。前の病院ではできなかったことだ。わたしが今こういう状況でこういうことを考えてしまうんです、と伝えると、先生は少しのアドバイスと、薬の調整をしてくれる。
「めぐるさん、死にたいなんて思ってはいけません」とは言わない。先生によっては言う信条の人もいるかもしれない。でも私の先生は言わず、なんというか別方向から現実的な治療のアプローチをしてくる。そのほうがわたしは気楽だ。


わたしが悩んでいるのは、死にたい、と簡単に思えなくなってしまったこと。
なぜなら手術を受けて、わたしは多くの人によって生かされたから。

2022年の夏、胃がんの宣告を受けた。胃腸の不調が続き、軽い気持ちで受けた胃カメラの検査で、初期の胃がんが分かった。診察室で若い男性の主治医に「わかりにくいのですがここに白い影があって、これは胃がんです」と告げられた。
かなりびっくりした。人生で一番くらい衝撃を受けたと思う。驚きすぎて何も言えなかった。
もちろんショックは受けたけれど、わたしが「えっ・・!」の次に思ったのは、「ついにきたか・・・」ということだった。何がきたのかというと、覚悟していたそのときが。わたしの母はスキルス性胃がんで若くして亡くなっていた。祖母も大腸と肺にがんを患っていた。つまり、がんになりやすい家系なのだ。
母が亡くなった小学生の時から、わたしは、いつか自分もがんになるのかもしれない、と思いながら生きてきた。なぜかお風呂に入るたびにそのことを思った。毎日思っていたから現実になったのか。(そうではなく、結局ピロリ菌が原因だったのだけど)
つまり小学生のころから覚悟してきた恐れが、現実になったというわけだ。

結局、わたしのがんは初期のもので転移もなかった。県の大学病院に3週間入院し、手術を受けて無事退院。手術は8時間にもわたった。
胃がんの治療については人生で一番痛くて、壮絶な体験だった。(こうして一行でまとめることもできるが、せっかく経験したことなのでまた別記事でも詳しく書きたい。)

がんの話が長くなってきたが、私が感じたのは、自分の力で頑張って乗り越えたぞ!!というよりも、家族や医療スタッフや友人、多くの人の力添えで乗り越えられたのだなあ、ということ。
ここで自分ファーストで述べないあたりが、自己肯定感の低さなのかもしれないが。

大学病院の看護師さんや先生方は、幸いなことに全員優しくて丁寧で、いい人たちだった。
執刀を担当してくれた外科の先生に関しては、もはやスーパーマンだと思った。男性の先生で、40歳くらいだろうか。3週間入院していて、ほぼ毎日顔を合わせた。休みなく働いているのだ。その間、一度もイライラしたところや疲れを見せなかった。
わたしの手術を終えた日、夜になって立ち合いから帰宅するわたしの父を病院の玄関まで見送ってくれて、「暗いですから帰り道お気をつけて」というような言葉をかけてくれたらしい。8時間の手術を執刀したあと、患者の家族にそんな優しい言葉がかけられるものだろうか?かなりクタクタだろうに・・・でも、かけられるくらいタフで思いやりがあるからこそ、大学病院の先生が務まるのかもしれない。

看護師さんもみんな優しかった。担当は日替わりで変わるのだが、わたしは長く入院する間に病棟のほとんどの看護師さんの顔を覚えた。はちゃめちゃに忙しいだろうに、タオルを汚してしまったので取り換えてほしい、とか、配膳を下げてほしい、とかそんなささやかな要求にもたいがい笑顔で答えてくれた。手術3日後だったかな?熱があって点滴や管もつながっていて、入浴できないわたしの頭を、看護師さんがベッドで洗ってくれたこともある。
お世話になったエピソードを挙げればきりがない。医療従事者の方々はつくづくすごいと思った。リハビリのために廊下を歩きながら、わたしも退院したら働かなきゃなあ、と思わず考えてしまったほどだ(まだ働いていない)。人の役に立ちたいから、という簡単な気持ちだけでは志せない仕事だと感じた。


本題に戻ろう。入院していた日々のことになるとどうしても長くなってしまう。わたしが死にたいと自由に思えないことについて。
つまり、それだけ多くの人たちの力添えがあって、わたしは死の淵から生還した・・・というと大げさだけれど、死の危険を回避したわけだ。あのまま気づかずに放置していたら着実にがんは進行していたし、手術も治療ももっと重たく、苦しいものになっていたはずだ。
いまはわたし自身はかなり体力も回復し、いまは日常生活にそれほど支障はなく、食事もほぼ人並みにとれる。

しかし、同時に思う。あれだけのことをしてもらって、うつ状態の時に「死にたい」と思ってしまうなんて、いけないのではないかと

希死念慮が浮かんでしまうのは、わたしが自発的にやっているわけではないし、わたしが悪いわけではないとわかっている。そういう脳の障害なのだ。でも、うつの時というのはたいがい自分を責めてしまうわけで、「つらい、死にたい」と思う気持ちのあとに、「人に助けてもらったのに、死にたいと思うのか。なんてやつだ」と自責の念がさらに襲ってくる。

手術して助かったという事実に、「死にたいって言うのは禁止だよ」と、口をふさがれているような気がするのだ。
それはわたしの命を救ういっぽうで、希死念慮を抱く自分自身に罪悪感をも抱かせる。

とても複雑な気持ちである。(死にたいなぁ)(でも、助けられたんだよなぁ。助けられたなら死にたいって思っちゃダメだよなぁ)ここで前向きになれればいいのだが、(両方の気持ちに板挟みになって苦しいなぁ・・)とこうなってしまう。

この気持ちの折り合いのつけ方はどうすればいいのだろうか。気分が安定している時は(まぁ罪悪感を感じちゃう自分の気持ちも、自然なものとして受け止めればいいよね~)くらいの気持ちでいられるのだけれど。
例えばだけど10年後、わたしがもっと重い病気にかかったときに、また考え方が変わったりするのかな。

中盤で看護師さんたちについて話したが、ひとつ言われた言葉の中で印象に残っているものがある。手術後、高熱を出して痛みと喉の渇き(絶飲だった)に苦しむ私を見た男性の看護師さんに、「治る人ですからね」と言われたのだ。治るからがんばって乗り越えましょう、という意味だと思うが、それはつまり、治らない人もたくさんいるということだ。わたしはその言葉の裏側にいる人たちのことを少し思った。


自分の気持ちの変化を日々見つめて、言葉にする。この作業の繰り返しの中で何かが見つかっていくだろうか。