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re:本 『最終飛行』佐藤賢一

作家にして、軍の飛行機乗りであろうとしたひとりの男の物語。丁寧に史実を追ってはいるのだろうけれど、あくまでも小説。ここは読者としても弁えたい。
舞台は第二次大戦前の欧州から始まる。主人公は軍の飛行機乗りとして、派手な失敗も含めた着実な経験値がある。同時に、彼には社会的地位が確保されたインテリ階級として「作家」という肩書があり実績もある。
独裁色を強める国や、中立であらんとする国と、同じ陸に連なる欧州という地のひりひりとした逼迫感を思えば、その状況からも文化的な立場からも「逃避」できる場として、物理的に離れたアメリカ大陸があったことは彼には幸運だったと言っていいだろう。既に社会的成功が果たされ、然るべき場に発言する立場が、彼の手中にあったことを考えれば、ひとりの作家としてうまく立ち回る人生もありえたはずだ。しかし、その発言は、同時に政治的な派閥に巻き込まれることも意味する時代だった。煽動されるような世界とは距離を置きたいと叫ぶような勢いで、彼は軍の飛行機乗りでありたいと渇望する。
実際、軍の実働部隊として飛ぶには年を重ねすぎていた。にもかかわらず、なんとしても「飛ぶ」ことにこだわった。軍の飛行機乗りであるためには作家業による人脈を利用することもいとわなかったし、折々に出会う美しい女たちにも己の目的を伝え続けた。飛行機乗りでありたい、いや、僕はそうあるべきなのだ、と。
言葉を紡ぎだす作家として、そして時には鉛筆で小さな子どもを描く画家として、自身の表現を深めれば深めるほど、異国の住まいで夜な夜な、思うことを語り録音し書き起こす、という作業を繰り返す必要があった。それは、常に闇の中で自分自身と対話することにほかならない。都会のアパートメントではエルサルバドル出身の美しい妻と居を分けてまでひとりで、郊外の別荘で妻と暮らす日を迎えてもなお書斎にひとりで、求め続けてきた熟考の時間。一見華やかな昼の社交時間を過ごせば過ごしただけ、闇との対面は深まる。
常に死を意識せざるを得ない単純な機体に乗り込み、月や星の光以外には闇と静寂に囲まれ、自身の腕と勘とで身を守るほかないコックピットに執着するのも無理はない。彼が作家たらんとすればするほど、なお。彼の作中表現を借りるなら「平和である時に帰るべき場所」がそこにあったのかもしれない。
もう一度、主人公を描写してみよう。最新機に「尻がつかえる」ほどの巨体を持て余した192センチの大男、そこに併せ持つのは王子様のような繊細さ、熟考しつづける闇の深さ、飛ぶことにこだわる豪胆さ。1944年の今日、偵察のための最終飛行に出たままの男、その名をサン=テグジュペリという。                2022.07.31


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