(再掲) 私の存在
私は28歳の時、ゴルフ場で、ゴルフカートごと、崖から転がり落ちた。
クラブは折れ曲がり、カートも無惨な形に成り果てた。
しかし、私は、かすり傷すらない全くの無傷。
救急車で搬送された先の病院の脳検査でも、異常なし。
あれだけカートのポールに後頭部を打ち付けたにもかかわらず。
時々思うことがある。
私が今生きている世界は「夢の中」。
もう一人の私、本当は大怪我を負い、意識が戻らず、病院のベッドで寝ている私。
その私が見ている「夢」ではないか、と思う。
デカルトは、同様な「偽の覚醒」を経験し、今の自分が本当に存在するのか、考えた。
どうすれば、証明できるか考えた末に出した答えが、かの有名な「我思う、ゆえに我あり」。
私は自分自身で考えているので、存在しているということ。
私はこうも思う。
誰かが、私のことを認識し、考えてくれていることを私が知ることで、私は「私が存在している」ことを認識できると。
それは凄くうれしい。