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時代によって変わったお金の使い方。利他と自利と二利。

お金の使い方が変わってきた。
これは私だけの話ではないと思う。

私の子供の頃の募金とは、学校で行う「赤い羽根共同募金」とか、街頭で募金箱を持ってる人の「貧しい国の子供に愛の手を〜」とかで、何の為の募金なのかよくわからないけど、なんとなく参加するものだった。

それが90年代から2000年代、2010年代とどんどん大きな災害が増えたこともあり、今では募金・寄付・ドネーションでお金を他人に譲る、まわすことが当たり前になってきた。

何か災害が起これば募金をしたり、災害援助でボランティアに参加することがわりと普通の世の中になっている。
東日本大震災復興イベントのボランティアをしていた時に、参加している大学生に「なんで参加しようと思ったの?」と訊ねたら、「復興の手助けをしたい」とみんな答えた。
(就職活動のアピールのため?)と少しうがって見ていた自分が恥ずかしくなった。

自分の髪をドネーションすることや、クラウドファンディングで誰かの希望を叶えるとか、子ども食堂があったりすることとか。
80年代には無かった考えだろう。あったとしてもこんなに大きな渦になってるなんて誰も思わなかっただろう。

昨日また土砂災害で熱海に大きな被害が出てしまった。映像を見ると心が痛い。
私に何ができるだろうかと考えると、やはり今は募金しかない。

今年の頭ごろふらりと一人旅に出た先は神戸だった。仕事に使う素材探しとアートに触れるための旅だったけど、過去の震災の傷跡である港の震災遺構も見てきた。
1995年から26年経って神戸はほとんど震災の跡がなくてきれいな街を取り戻しているように見えた。

あのころはまだ子供で、悲惨に壊れたあの街に何かできることは無かった。
東日本大震災の時も大きな津波や流れる街を見て恐れることしかできなかった。私は何もできなかった。

そういう気持ちが少しあるのかもしれないが、どこかで災害が起こったときに私は少額でも寄付をすることにしている。

***

NHK朝ドラ「おかえりモネ」で、ハッとしたセリフがあった。

「もしかしたら誰もが自分は何もできなかったという思いを多少なりとも抱えています。でも、何もできなかったと思う人は次はきっと、何かできるようになりたいと強く思うでしょう。その思いが私たちを動かすエンジンです」
(Yahoo!ニュースより引用)

ほんとうにそうだなぁと思った。
あの時何もできなかったという思いが、今のドネーションの渦を作っているのかもしれない。


昨日見たNHK「SWITCHインタビュー 達人達」で、芸人 安藤なつに看護師で僧侶の玉置妙憂が話した中に気づかされた言葉があった。

仏教では、利他であれと言う。他人の利のために行動せよと。
だけどその前に、自利。自分が幸せであって他人のために行動できる。
両方を合わせて二利といって、どちらも大事だ。

という話だった。再放送でまた見たい。

私にとって自分が満たされること「自利」とは、思ったように服が作れて、欲しいと思ってくれた人に着てもらうこと。
そこでいただいたお金の中から困っている人に寄付をすることは「利他」。
上手に回ったらそれは「二利」だ。

自利が増えれば利他も増やせる。
ますますがんばろうと思った。

***

ここ最近の気候の変化はのんびりした80年代とは明らかに違っていて、いつ自分の街で被害があるかもわからない。
いつか自分が誰かに助けてもらうかもしれない。


今日も容赦なくふる雨をうらめしく思いながら、土砂の被害にあった人たちがなるべく安全に過ごせることを願っている。


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