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広島に原爆が投下されて75年。広島と平和のためのコンサートを聴く「被爆75年2020「平和の夕べ」コンサート~Music for Peace~」広島交響楽団

1945年8月6日 午前8時15分。

人類史上初めて都市に対する核攻撃となる原子爆弾「リトルボーイ」が広島市上空に投下され、熱線と爆風で広島は半径2キロ以内のほぼすべてが焼け落ちました。8万人が即死。その後同じ年の年末までに16万人の方が亡くなりました。

そして現在も毎年多くの方がこの放射能被爆によって亡くなっています。その累計は約34万人…(ただし名前がわかっている方だけでこの数字、死亡不明な方も多い)

Youtubeライブ配信:被爆75年2020「平和の夕べ」コンサート~Music for Peace~広島交響楽団

昨夜はこれを視聴していました。

■出演
指揮:下野竜也 ピアノ:萩原麻未 メゾソプラノ:藤村実穂子
管弦楽:広島交響楽団

■曲目
・ペンデレツキ:シャコンヌ(ポーランド・レクイエムより)
・藤倉大:ピアノ協奏曲第4番《Akiko’s Piano》(広響委嘱・世界初演)
・ベートーヴェン:カヴァティーナ(弦楽4重奏曲第13番より弦楽合奏版)
・マーラー:亡き子をしのぶ歌
・バッハ(斎藤秀雄編):シャコンヌ(パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

「明子さんの被爆ピアノ」と藤倉大作曲「ピアノ協奏曲第4番《Akiko’s Piano》」

この日の2曲目には、ロンドン在住の作曲家、藤倉大さんが広島の原爆で亡くなった女学生・河本明子さんを題材に作曲したピアノ協奏曲「Akiko'sPiano」が世界初演されました。

ピアノは、広島市出身で被爆3世となるピアニストの萩原麻未さんがソリストとして出演し、終盤のカデンツァ(独奏楽器がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏をする部分のこと)を明子さんの遺品のアップライトピアノで演奏しました。

この曲の作曲を委嘱された藤倉さんは、明子さんのピアノに実際に触れてカデンツァを作曲したいと、ロンドンから広島まで来て明子さんのピアノがある部屋に4日間籠って、明子さんの残した日記や写真で当時の状況に思いを馳せながら作曲作業をされたそうです。
藤倉大さんの公式ウェブサイト

明子さんのピアノについて

明子さんの遺品のアップライトピアノは、弦やフェルトがボロボロの状態だったものを2005年に調律師の坂井原浩さんの手によって修復されました。この修復された明子さんのピアノは、その後マルタ・アルゲリッチ、シャルル・アムラン、ピーター・ゼルキンによって奏でられました。

明子さんのピアノの詳しいエピソードについては、広島市立牛田中学校PC放送部の皆さんが作成した動画「ショパンを愛したピアノ ー Akiko's Piano ー」をご覧ください。

音楽を通じて平和を発信し、未来へ受け継いでいく

広島交響楽団は、音楽で平和を発信することをその使命とし、現在Music for Peace(音楽で平和を)をキャッチフレーズに掲げ、国際平和文化都市「広島市」を拠点に様々な活動を行なっています。

そして「平和の夕べ」コンサート~Music for Peace~は、「平和への思い」を共有することを目的に毎年8月5日に開催されるコンサートです。

今回は75年目という節目にあたる年でした。この節目の年にピアノ協奏曲「Akiko'sPiano」が初演され、世界中に1945年に戦争によって引き起こされた人類史上初の原爆投下という風化させてはならない事実を今後も未来へ引き継いでくれると思います。

そして、明子さんのピアノが奏でられる場に立ち会う度、人々は明子さんのエピソードとともに戦争を思い出し、現在の平和に感謝し、二度と戦争を起こしてはならないと心に刻むはず。そう思います。

ドキュメンタリードラマ「Akiko’s Piano 被爆したピアノが奏でる和音(おと)」NHK BSプレミアム

そして、終戦の日を迎える8月15日(土)18:00からNHK BSプレミアムで河本明子さんとピアノに関するドキュメンタリードラマが放送されます。
NHK 番組ホームページ

明子さんの在りし日の姿を、日記や関係者の証言にもとづき、創作をまじえたドラマとドキュメンタリーで描きます。

主演は、「べっぴんさん」以来のNHKドラマ出演となる芳根京子さん。1台のピアノが奏でる音が、歴史に埋もれた名もなき女性の物語を浮かび上がらせます。

【あらすじ】
昭和15年。広島県三滝町に暮らす河本明子(芳根京子)は、父・源吉(田中哲司)、母・シヅ子(真飛聖)、そして弟2人と仲良く暮らしていた。明子のよろこびは、大好きなピアノを演奏すること。

ある日、彼女の夢を応援してくれた教師の竹内(町田啓太)のもとにも、召集令状が届き…。戦況が悪化していくにつれ、徐々に音楽から引き離されていく明子の生活。

「勉強がしたい」、「もっとピアノを弾きたい」。そんな思いをよそに、勤労奉仕に駆り出される。そして昭和20年8月6日の朝も、父の反対をおして、作業のために街の中心部へと向かっていったのだった。75年後の広島。被爆したピアノが、明子の思いを奏でる。

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