
「ジャッジする」を手放して心穏やかに生きる
物事をつい、いいか悪いかで判断してしまったりしませんか?
絶対的にいい!と主張しても、絶対的に悪い!と主張する人もいるわけです。
どちらも自分の意見が正しいと思い、正義だと思っている。
こうなると言い争いになってしまうこともありますよね。
自分が明らかにこっちという立場をとり譲れない意志がある時、反対意見を受け入れるのはなかなか難しいです。
反対意見の人を信じられないと思ったり、怖いとか気持ち悪いと感じたり、許せないと怒りを持ったりします。
二方向の相反する意見をお互いに受け入れるのが難しいことは、容易に想像できるでしょう。
これは物事を一面から、自分側の視点だけから見てしまっていることが原因ではないでしょうか。
自分はAと主張した。
相手はBと主張した。
自分にとっては絶対的にAが正しく正義である。
となると、相手は悪である。
というように敵対視することになってしまいます。
「相手は悪」という思考になってしまえばもう聞く耳を持たないでしょう。
まず「絶対」なんてことはないと考えた方がいい気がしますね。
物事には両面あると考えると、「絶対」という言葉は出てこないのではないでしょうか。
相手側の立場にたって考えてみると、つまり二方向から考えられると、また違った見方ができるようになります。
自分の意見は絶対正しいわけではないかもしれない。
相手の言うことも部分的に理解できるところはある。
意固地にならず、そんな柔軟さがあるといいですよね。
ましてや多方面、全方向から物事を捉えられる「球体思考」を持てば、もっと柔軟な考えを持てるでしょう。
自分はAと主張した時、相手はBと主張した。
相手はなぜBと主張するのか?
相手はBにどんな良さ、メリットを感じているのか?
相手はどんな気持ちで主張しているんだろう?
相手の気持ちを知ろうとする姿勢が大事ですよね。
自分の意見が普通とか当たり前と思っても、「普通」や「当たり前」は人によって違うんですよね。
そこで誰かと戦う必要はなく、戦うのはエネルギーの無駄遣いかもしれません。
議論にはなっていないことも、私たちはあらゆることを無意識にジャッジしています。
好きか嫌いか。
善か悪か。
敵か味方か。
自分のことも、他人のことも。
目覚ましが鳴ったけど、あと10分寝よう。
自分に甘くてダメだなぁ。
結局時間ギリギリだ。遅刻しそう。
私って本当にダメ。
あの人割り込みしたよね。
悪い人だな。関わりたくないな。
あの上司、挨拶したのに無視するなんて感じ悪い。
同僚のKちゃんはいつも笑顔で挨拶してくれる。
いいよねー。
延々とジャッジは続きます。
いろんな状況によって様々な気持ちが生まれるのは当然のことです。
それを否定したり、自分を責める必要はありません。
でも、そのジャッジが極端に偏ってしまったり、強すぎる意見を持つと、コミュニケーションのバランスが崩れてしまうのではないでしょうか。
だから自分の為にも、「今私ジャッジしちゃったな。」とジャッジしたことに気づくのが大事だと思います。
気づいたなら、
人を怒ったり非難するよりも
「なぜ自分がその行為を悪いと判断したか」
に着目すると負の感情が大きくならず、自分自身の奥底にある気持ちが見つかる可能性もあります。
誰かの行動にイラっとすることには、自分の価値観や思い込み、あるいは得意なことが隠れているかもしれません。
イラっとした理由を考えてみてください。
「私はこうすべきと思っているのにそのルールに反している。」
なぜそのルールを持ったんでしょうか?
私たちは皆、親の教えや学校のルール、社会の価値観、いろんな影響を受けています。
肩の力を抜いて深呼吸して、周りの価値観は忘れてもう一度自分自身に問いかけてください。
やっぱり「こうすべき」だと思いますか?
自分の中でのルールは環境や経験によって作られ、自分を守るために従ってきたかもしれません。
長年培ってきたものはそんなに簡単には変わらないと思います。
でも時にそれが自分の思い込みだと気がつくこともあります。
本心からそうしたい、そう思うのではなく、周囲から作られたものだったのではないかと。
私も何度か気がついたことがあります。
そこに気がつけると、自分がそう思い込んでいたことが不思議に思えたくらいです。
そして、肩の力が抜けます。
固かった頭が柔らかくなります。
「イラっとしたことには自分の得意が隠れている」
これは『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』の著者である八木仁平さんが、得意なことを探す時の話で言っていたものです。
例えば、予約をして行ったお店で無表情の店員さんがぶっきらぼうな対応をしてイラッとしたとします。
そんなあなたは笑顔での接客や、相手の気持ちに配慮して話すことが得意ではありませんか?
これは実は私がイラっとしたことの例です。怒りというよりは違和感くらいのものでした。
自分にとって当たり前にできることなのに他の人ができていない時「なぜそんなこともできないのか。」とイライラする。
これは気づいていなくても、自分の得意なことだったりします。
自分の当たり前だから、他の人もできると思ってしまうんですね。
私は八木さんの話を聞いて、この時の違和感はイラつきだったこと、自分の得意なことだったからイラついたんだと気づき、納得しましました。
「私ならもっと笑顔で対応するのに。気持ち良い接客で迎えたいと思うのに。」
と思ったのはそういう理由からです。
イラっとしたら
「自分の得意を見つけられるチャンスかもしれない。」
と思えばちょっと明るい気持ちになりませんか?
自分一人の思考でもジャッジしてしまう癖があると、それが極端になればなるほど辛くなってしまいます。
完璧を求めて、できない自分に❌をつけてダメ出ししてしまうからです。
当然自己肯定感も下がってしまいます、
黒じゃなければダメ!
白もグレーも許せない!
100点がとれなかった私なんてもう0点の価値しかない。
こんな考え方では自分を大切にできず、疲れてしまいますよね。
私たちは審判員でも裁判官でもありません。
判決を下す必要はないんです。
善人か悪人かの二者択一ではなく、一人の人間が善も悪もいろんな面を持つことを思い出しましょう。
自分も他人もいろんな面を持つ。
それが人間ですよね。
白か黒。
100点か0点。
ではなく、
白から薄いグレー、濃いグレー、そして黒までのグラデーション。
1〜100まで1点刻みの数字。
間を受け入れることが大事です。
多様な物の見方、捉え方ができれば、かなり心穏やかな生活を手に入れられるんじゃないでしょうか。
いろんな場面で、怒る必要も悲しむ必要もなくなるのですから。
自分も他人も広く受け入れる優しさと強さを持っていきたいですね。