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とある夜、Float

『ハイボールに沈めた言葉』
どこかのアーティストがそう歌っていたっけ。
目の前にある酒はハイボールでは無いけれど、
私の濁った気持ちを沈めて隠すには
十分すぎる色味とアルコール度数。

「もし明日どこかに飛んでいけるなら
…どこに飛んでいく?」
行きつけのバーのバーテン、亜樹が私に問う。

「……」
少し悩む。
行きたいところはいっぱいある。
ハワイ、いや、沖縄でもいいな
海に行きたい。海に行ってボーッとしたい。
あ、でもボーッとするなら別のとこ?

お酒の氷を指で回しながら
「海」
と答える私。
「いいね」
と答える亜樹。

本当に飛んで行けたらいいのに。

常連が入ってきて、座る。
「あれ、あみちゃん、久しぶりじゃん」
「仕事が忙しくてなかなか飲みたくても飲めませんでしたー」
「まぁそりゃいいことだ。たまに飲む酒は格別だよな」

常連はハートランドを注文する。

「どうよ、調子は」
「特に何も変わらず。強いて言うなら、仕事辞めたい」
「それは相変わらず調子良いな」
ガハハと大口開けて笑う常連。
ウーロンハイを飲む私。

「亜樹さんさ、俺からあみちゃんに1つ、何か酒あげてよ」
「もちろん。いいですよ。何がいいですか」
「え、いいんですか。それなら……とびきり強いお酒をください。いいですか」
「いいよ、飲みな。久々にしちゃ飛ばすねぇ」
「久々だから飛ばすんです」

私は手に持つウーロンハイを飲み干す。

「いい飲みっぷりだねぇ。ゆっくり飲んでも良かったのに」
「いえ、今日は酔いたい気分なんです」

空になったグラスに残された氷を指で回して、亜樹を見る。
亜樹は微笑んで、カクテルを作る。

この香りは、スイートベルモット。

「なるほど、そう来たか」
「えー?何、あみちゃん、何が?」
「いえ、何でも」

少しむくれて顎をカウンターに乗せる。

亜樹はカクテルシェーカーを振る。
店内に響く氷の砕ける音。
私の心も何となく砕けたような気がする。

「亜樹さんそれ、もしかしてレディーキラー?」
「レディーキラー…程弱くはないかもしれませんね」
「何ですか?レディーキラーって」
「その名の通り、レディーをキルするカクテルだよ。アルコール度数は弱めだけど、知らず知らずに回る……毒のようにね」

常連は手を獣のようにあげた。
私は笑いながらキャーッと逃げるふりをする。

「毒のように…なら、そのジェスチャーは少し違うかもですね」
くすくすと笑う亜樹。
私の前にグラスが置かれる。

注がれた金に近い美しい液体。
底に映る私の顔。

「アンバードリームです」

私は亜樹をキッと睨む。
眉を少し動かして、「何か?」という表情をする亜樹。

「うわー、ちょい強めだね!さすが亜樹さん」
「とびきり強いとは言われましたけど、とりあえずは、ね」
「私はとびきりと言ったのに」
「ふふ」
「……いただきます」
「どーぞー!酔おう酔おう」

一口飲むと、口に広がる香草の香り。

亜樹は、香草が嫌い。
私は、それを知っている。

「ちょっと御手洗行ってくるー」
立ち上がった常連。
残された私と亜樹。

「アンバードリームには氷が無いから沈められないよ」
「そうなの?…何を沈める気なんだか」
「お前を沈めてやりたい」
「わぁ怖い」
「嘘。このやるせない虚しい私の気持ちを沈めてやりたいの」
「ふふ、なんか素敵。ポエマーみたいだね」

シェーカーを洗う亜樹。
それを見つめる私。

「亜樹はさ、明日飛んでいけるなら、どこに飛んでいきたいの?」
「ん?僕?僕は、実家の縁側かな」

何だよ、その答え。
本当にこの人には、敵わない。

「今日もよい夜になりそうだねぇ~
あ、よいってのは、酒に酔うの酔いね」
浮かれた常連が御手洗から戻ってくる。

きっと今日は最高の夜になる。
いつもみたいに。
そしてそれは、このまま続くと思ってた。

その翌日、未曾有のウイルスが世間に広がって
私たちの生活は一変することになる。


あぁ、沈められなかったんだから、ちゃんと言えばよかったな。


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