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不思議な感覚と冬の空


ねぇ見てよ、
東京の空でもオリオン座が見えるよ

ふいに呟いてみたけれど、別に隣に誰かがいる訳でもないし、誰かに話しかけた訳でもない。

ふーっと吹いた息は少し白くて、冬を感じた。

すごく、嫌な気持ちになった夜。

前を歩く鼻歌交じりで携帯をいじる彼は、私と家の方向が同じ人。
よく会う。いつも違う歌を歌っている。
イヤホンをしているのを見ると、無意識で歌っている気がする。
いつもいつも、いいことでもあるのだろうか。
羨ましい。

すごく、嫌な気持ちになった夜。

遠くの街灯の下で、黒い塊が落ちているのが見えた。
え、もしかして
もしかして
不安は募る。募りながらも歩みを進めていく。
私の家へは、この道からしか帰れない。
一歩、また一歩、黒い塊に足は近づく。
一歩、また一歩、歩く度に呼吸が早くなる。
どうか違ってくれ
そう思う反面
そうであったなら、そうだったなら
好奇心に似た不思議な気持ちもそこにある。

鼻歌交じりで前を歩く彼はその塊に気付かず、ただ隣を過ぎていった。

私は一歩、また一歩近づき、
遂に黒い塊がその正体を露にした。

落ちていた、黒い手袋。
少し大きめの、1セットの手袋が、まるで生き物のようにそこに横たわっている。

フッ、とため息のような安堵のような、
不思議な気持ちを吐き出して一歩踏み出す。
ふと思い立って、一歩戻って携帯を出し、
その手袋を写真に収めた。

改めて見ると、全然、見たかった物には見えないのに。

私はまたフフッと笑って一歩を踏み出す。

ふと、前に気づいて足を止める。

少し、ギクリとした。

数メートル先に、鼻歌交じりの彼が立ち止まってこちらを見ていたから。

今は、鼻歌もなく、ただ黙ってこちらを見つめている。
ただ、見つめられている。

彼を撮ったと勘違いされてしまったかなと
私は慌てて弁明しようと携帯の画面を操作する。
写真フォルダが開き、その写真が画面に出された時、彼は遠くで口を開いた。

「何、だと思いました?」

私は、またギクリとした。
その声があまりにも透き通っていて、見透かされるような声だったから。

「何、でしょう。な、何かの、死体、かな、って」

動揺したように言葉と言葉に間が空く。

冷たい、寒い風の中、彼はそのままの顔で
私を見つめて言う。

「どちらが、良かったですか。本物と、それ」
「え。それはどういう」
「そのままの意味です。手袋で、良かったですか」
「……」

「あなたは、それを見た時、どう思いましたか」

ふと思い返してみる。
ドキドキしながら見たくないな、それだったら嫌だなそう思って近づいていった。

でも近づくにつれて、不思議な感覚もあって。

「よ、良かった…ですね、はい。それだったら…怖いです…し、はい」

私はそう返すと、彼は「そうですか」と呟いて、
私の近くまで歩いてきた。

そして手袋を拾い上げて、丸めて道路の端に寄せた。

「なら、良かったです。あなたは、僕とは違うみたいだ」

そのまま道路に置かれた手袋を数秒見つめて
また鼻歌交じりに歩いていく。

「な、何だったの…」

私の心臓は今、早く脈打っている。
それは、変な人に会ってしまった怖さか
何かを見透かされた気がして逃げ出したい焦燥か

きっとそれは後者。

そしてきっと彼は、手袋に気付かなかった訳じゃない。気付いていて、そしてそれではなかったから、素通りした。

「私…」

ふと思い返した。

私、この写真を撮った後、何て思った?

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