文章を書くコツは女性を口説くように。
読書感想文シリーズが更新できていない。
というのも、読み始めた本がですね、どれももれなくページ数が多いことに読み始めてから気づくという失態をかましてしまいまして。
コーチングに関する本が400ページくらい。
そして、並行して読んでいる『村上さんのところ-コンプリート版-』がなんと10755ページ。
大体70ページくらい読んでいるのに、なんと読了率が0%の本。
ページ数の基準を広辞苑とすると、大体広辞苑3冊分の分厚さらしい。
「村上さん」、村上春樹先生が読者などからの質問に答える企画をまとめた本で、書籍版はせいぜい200ページくらいしかなかった気がする。
それがまさかの10755ページ。
村上先生、本気を出し過ぎです。
電子書籍だから許されるページ数、ボリューム、そして文字数。
どれをとってもこれまでの読書人生において「最大級」と思われる本。ド級の言葉は今回のために取り置きされていたのかもしれない。
超ド級、超ドレッドノート級の一冊。
そんなこの本、読者やファンによる生活の疑問から人生の悩み、映画の一本に至るまで、人の質問に雑にざっくばらんに丁寧に鮮やかに村上先生の言葉で答えられている。
まだまだ70/10755ページしか読めていない、0.65%の状態であっても、読みながら(ほぇ〜っ!!)と感じている。
一体これからあと何回(ほぇ〜っっ!!!)をしなければいけないのだろうか。
そんな中、こんな質問があった。
「文章をうまく書くコツはありますか?」という質問。
それに村上先生はなんと答えたと思う?
「女性を口説くように書けばいいんですよ」
何を食ったらそんな回答をできるんだ、村上先生。
確かにいつもの作品の「ぼく」はいつだって女性を抱いているし、女性に抱かれている。
作者の人生によって作品の中身は作られるとはよく言ったもので、そう考えるとこれから彼の作品を読み直す時、「村上春樹」の人生観や恋愛観の琴線に触れられるのかもしれない。
それはそれで、アリな気もする。他人の人生を追体験することが約束された読書、少しの罪悪感と何かしらの背徳感と好奇心が混ぜられて面白そう。
それと同時にこんな感覚も覚えた。
あぁ、自分はこの人のような文章を書けない。と。
もちろん、毎年ノーベル文学賞にノミネートされる人間と同じくらい人の心を揺り動かすことができる文章を書けると思えるほどの自信はない。
それでも、こんな文章を書けたらと思ってしまうことはエゴなのだろうか。
今日見ていたドラマの脚本というか展開があまりにも綺麗で胸を打たれたし「はぁ〜…」と納得していた自分の顔を、横で見ていた母親に露骨に気持ち悪がられた。
坂元さんの書く人間ドラマも好きです。人の意識しないレベルの共通している概念を当たり前のように拾ってきて、(あるある)と納得させてしまう手腕とセンスには毎回感服してしまう。
直木賞も芥川賞も獲る気はないし獲れる気もないし、そもそも本を書く気も書ける気も技量もない。ギャラクシー賞だって獲れるはずがない。
それでも、どこかで文字を書く人間に憧れてしまう。
文字書きという肩書きに憧れているのかもしれない。
このような偏屈で拗らせた臆病な自尊心と尊大な羞恥心を、李徴も抱えていたのだろうか。
いつかの映画で「キューブリックも落ち込むのだろうか」と悩む青年を観た。
そろそろ虎になっていてもおかしくない気がするのだけど、まだ人間のまま拗らせ続けろということなのだろうか。
「180°変わった」を勘違いして「360°変わった!」と勢いよく言ってから顔を真っ赤にしたことがある。
360°を超えて720°、さらに超えて1080°回転した自分になれば、また何か考えが変わるのかもしれない。
虎になることを避けるべきなのか、一風変わった虎になればいいのか。いっそのことネコ科つながりで可愛らしい猫にでもなってしまおうか。
猫のペットである人間から猫様になりたいものだ。
そうだ、猫になろう。
猫なので今日はこんな感じで終わります。
きまぐれなので。今はさっき見たドラマの登場人物がつけていたネクタイの柄が絶妙に似合っていなかったことを考え始めています。
会社の社長に拾われて飼い殺しになったキャラクター、今週少し自由になった感じなので、来週の彼のネクタイの趣味がガラリと変わってたらちょっとこう、嬉しいです。
ではまた明日。
おやすみなさい。